八角堂便り

くれぐれとした道 / 山下 泉

2021年6月号

 静かな生活を余儀なくされるうちにコロナ期二度目の新緑の時が来た。遠出や旅行を控えると近隣の散策が欠かせないのだが、四、五世紀ごろ築造と推定される多くの陵墓を有する古市古墳群のそばに住む私は、夢想的な散策の場に困ることがない。応神天皇陵、仲哀陵、清寧陵、仁賢陵、安閑陵、白鳥陵、…。よく整えられた前方後円墳は青々と濠水を湛え、鳥居のある前方部にはみごとな松の姿が見える。あるいは寂れて鬱蒼と樹木の気が籠もり、忘れられた墓地そのものという場所もある。こういった不可侵領域、いわば空白のトポスが繁華な大阪府南部の市街地の家々と踵を接し渾然と背中を合わせて存在するのは相当ユニークな光景である。この一大古墳群をぐるりと取り囲んで生駒、信貴、二上、葛城という河内と大和を隔てる山々が連なる。私の夢想的な散策のハイライトは、雄岳、雌岳から成る山容の美しい二上山である。雄岳の頂上には、父・天武天皇の死後、謀反の嫌疑によって刑死した大津皇子が葬られ、その死を悼む姉・大来皇女の歌が万葉集に残されている。
  うつそみの人なるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む
  二人ゆけどゆき過ぎがたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ
 皇女の悲歌に触れるたびに古代の死生観に惹きつけられる。一首目は「うつそみ」という概念の捉えがたさに加えて、生と死の結界である二上山を亡き人と視る想念の不可思議。二首目は「ゆ」音の繰り返しが立体的に歌をはこび、取り返しのつかない悲傷が迫ってくる。こんなふうに、二上山を眼前に仰ぐたびに言い難い気持ちになる。ところで、伊勢斎宮の初代の人であった大来皇女をはじめとする斎宮研究に心血を注いだ山中智恵子には次のような作品がある。
  二上の夕日今日みずなげきつつ沼ふたりゆき髪もかわかず
  秋の日の高額(たかぬか) 、染野(そめの)、くれぐれと道ほそりたりみずかなりなむ
                      『みずかありなむ』(一九六八年)
 一首目からは、前掲二首目の大来皇女の歌をなぜか連想してしまう。二人で行ったとしても、の意の「二人ゆけど」が、「ふたりゆき」と反転し、「秋山」が彼岸の暗示としての「二上」山を思わせるからだろうか。二首目の「高額」は、神功皇后の母と言われる「葛城高額媛(かずらきのたかぬかひめ)」に関連がありそうだし、「染野」といえば、二上山東麓の当麻寺、石光寺一帯の地名でもある。「くれぐれと道ほそりたり」という衰滅に向かいあうような心細さが、見なくなってしまうのだろうかという結句のほうへ、昏い余韻を響かせる。〈行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ〉と、悲憤の志を歌った山中智恵子の作にしては珍しく素顔の声の表出を感じさせる。この細りゆく道をもとめてもうしばらく歩いてみたい。

ページトップへ