青蟬通信

宮柊二「私記録詠」など / 吉川 宏志

2021年6月号

 三十年勤めた会社を、三月末に退職した。会社の仕事と短歌を両立させることをポリシーとしてきたのだが、最近は体力的につらくなったのが大きな原因だった。それから、時間をかけてじっくりと書きたいものがいくつかあった。その一つが「一九七〇年代短歌史」で、「短歌研究」六月号から連載がスタートする。今は、その資料読みをしている日々である。
 辞めることには大きな不安があった。組織を脱けたら生きていけないぞ、という恐怖感は、ずっと勤めていると、知らず知らずのうちに心に刷り込まれてくるらしい。そんなときに、不思議に脳裏に浮かんできたのが、西行の一首だった。
  世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ
                               『西行法師家集』
 出家して世間を捨てる人は、本当に捨てるのだろうか、むしろ捨てない人(仏門に入らない人)のほうが人生を捨てているのだよ、という意味である。「捨つ」という語を四回繰り返し、意外な論理に導かれるところがおもしろい。
 宗教的な歌だが、別のとらえ方もできると思う。日本の場合、会社も一つの〈世間〉であり、厳しく束縛する力を持っている。そんな世間に、ずっと従う必要はあるのか。心の自由を求めて、それを脱する生き方もあるのではないか。西行がそう問いかけているように感じたのだった。
 もちろん、それは勝手な読み方なのだろう。だが、西行も、宮仕え(兵衛尉)を辞めるときに相当な葛藤があったことは、この一首から想像できる。理屈っぽいが強いリズムの歌である。さんざん悩んだあげく、理によって決断したのではないか。
 もう一つ、退職前に何度か読んだのが宮柊二の連作「私記録詠」であった(歌集『多く夜の歌』所収)。昭和三十五年、宮が四十八歳で富士製鉄を依願退職(自己都合退職)したときに作られた歌である。私は今五十二歳なので、そんなに若いときだったのか、とちょっと驚いてしまった。
  階段を踏みくだりつつ中間(ちゆうかん)の踊り場暗し勤(つとめ)を今日去る
  辞令持ちて関係部課に職退(ひ)くを告げて廻りつ安からなくに

 とてもリアルで、私も同じような体験をしたので、自分のことのように感じてしまう。二首目の「安からなくに」は、「心穏やかではないのに」というくらいの意味だろう。早期に退職することを報告すると、いろいろ詮索されたり、生活していけるのかと心配されたり、仕事から逃げるのかと言われたりする。こちらにも、どこか後ろめたい気分がある。
  退職の願(ねがひ)容れられ晴れ晴れとせる顔としも寄りゆけば言ふ
 挨拶にゆくと「晴れ晴れとした顔をしていますね」と言われたのだ。そんなふうに言われると、今まで苦しそうな顔で働いていたようで、ちょっと気まずい。ただ、
  告げねども體(からだ)衰へゆくわれと或ひは知りて居給ひしらん
という歌もある。上司は、自分の体調が悪いことを知りながら見守ってくれたのだろうか――退職の日に、ふと思い返したのだ。自分が疲弊していることを見抜かれる不安と、申し訳なさ。この心理も、よく分かる気がする。宮はこのころ、糖尿病の診断を受けていたという。
  生き生きてわが選びたる道なれど或ひはひとりの放恣にあらぬか
  妻も子も老い母もわれを許し委(ゆだ)ぬ生きの命のそのかなしきを

 自分の人生は自分で決めるといっても、結局は放恣(わがまま)なのではないか、という疑いが湧き上がってくる。そして、家族も不安なはずなのに、自分の決断を許してくれたことに、つらいような思いを抱く。
 宮柊二の歌は、しばしば「劇的」と評される。こうした歌も、やや感傷的な面はあるかもしれないが、自分も同じような境遇になったとき、やはり心に沁みた。宮の歌には、読者を慰藉するようなところがある。
  はげみ来て今は去るべく硝子戸に顔当ててをり硝子は青し
 私は職場の窓ガラスに顔を当てたりしなかったけれど、いつも眺めていた大きな楠があって、春の茶色い落ち葉をこぼしているのが見えた。

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