八角堂便り

太田正一さん再読 / 前田 康子

2021年4月号

 古い塔を読んでいると太田正一さんの詩がいくつか載っていた。その中の一篇。
  らい者は常に人間の傍の存在であったといい
  かたいの語源が生じたという
  私はたとえ癩者であっても
  光の前には傍の存在でありたくない
  光のただ中に真裸になってまろびたい
 タイトルは「語源」とある。 
 「かたい」(かったい)はハンセン病患者の古典的呼称。「傍居」「片居」とも書き、「乞食」「物知らず」などの意味もある。太田さんのこの詩には、悲痛な叫びや激しい主張はない。それでいて静かに読者の心に入ってくる。最後の行に不思議な神々しさが感じられる。
 太田正一さんは大正七年生まれ、十六歳のときに長島愛生園に入り一生を過ごした。一九六五年に塔に入会。塔創刊二十五周年記念企画の一環として第一歌集『風光る』を刊行。現代歌人集会賞を受賞した。
 私が塔に入会した頃、編集の手伝いをしながら太田さんの歌稿を見ることがあった。長島愛生園の方の代筆の美しい字で一首一首大切に書かれた歌稿は、他の稿とはどこか違う端然としたものがあり、いつも手を止めて眺めずにはいられなかった。本を「舌読」されているということも塔の会員の方から教えられ初めて知ったのである。
  点字探り読みたる舌にこの夕の熱き葱汁ひりひり沁みる
『風光る』より、今も忘れ難い一首。またこんな歌もある。
  坂道を登り来りて投函す母亡き後は歌稿にかぎる
 杖をついて塔の歌を投函する太田さんが見えて来るようだ。母を亡くした哀しみもあふれている。
  木片に似たるてのひらのべしとき光りもろとも降りくる落葉
  石投げて乾ける音のひびきにも干潟は寂し素顔のごとくに
 今回『風光る』を再読してこのような比喩表現にあらたな魅力を感じた。一首目は病で手の指が萎えてしまった形を「木片に似たる」と自ら詠んでいる。辛さがあり、下句で少し救われる。二首目では結句の比喩が斬新だ。この「素顔」は作者自身ともとれるし、もう少し広く人間全般ともとれる。
 コロナウイルスがおさまらない中、入院拒否患者への罰則の法案に対して「過去の感染症の教訓がいかされていない」との発言をよく聞く。しかしハンセン病に対する認知度は年々減っており、患者への強制収容、社会的偏見や差別がどれほどだったかということがどんどん風化して行っている。残されたハンセン病患者の短歌は開けられない限り、書物の中でじっと耐えているのだ。

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