青蟬通信

『ゆきあひの空』を読み返す / 吉川 宏志

2020年11月号

 石川不二子さんが今年の六月二十五日頃に亡くなったという。「頃」という新聞の表記に、胸を衝かれる。
 二〇〇八年に刊行された『ゆきあひの空』が迢空賞を受賞し、そのときは河野裕子さんの『母系』も同時受賞だった。お祝いに行った東京の会場で、少しだけ挨拶した記憶がある。それが石川さんの姿を見た最後となった。その後はほとんど歌や文章を見ることがなくなり、気に懸かっていたのだった。
 『ゆきあひの空』は好きな歌集である。まず、巻頭の白萩の一連がとてもいい。
  咲きはじめの花のおほきく見ゆること年々にして庭の白萩
 好きな花だから、咲きはじめると嬉しくて、何となく大きく見えるのだろう。やがて群がってたくさん咲くと、小さく感じられるようになる。そんな花の印象が、のびのびとした調子で歌われていて快い。
  うつぶして枝長く曳く白萩に半顔の月光りそめたり
 上の句は、萩の花の形態を的確にとらえている。それを「半顔の月」が照らしているという情景が美しい。
  夏の夜のやや冷ゆるころふくろふの遠音人語に似つつきこえ来
  ほのぼのと霧ふる朝のこほろぎは野に鳴き部屋の内にても鳴く

 石川さんの住んでいたのは岡山県の山間にある農場で、ふくろうの声がなまなまと聞こえてくるような土地であった。こおろぎがいつの間にか部屋に入って鳴いている、というところからも、人界と自然が入り混じっている様子がうかがわれる。
  ポケット二つ栗やむかごにふくらんでさながら猿の頰袋なり
  尺蠖(しやくとり)がみごとに我の腕を計るしわしわは何の木に似てゐるか

 こうした独特のユーモアの歌は、自然と格闘する暮らしの中から生まれた賜物のようなものであっただろう。栗やむかごをたくさん集めながら、自分も猿になったような気分になっている。尺取虫を自分の腕で遊ばせながら、自然な老いをむしろ楽しもうとする。石川さんにしか作れない、生命と触れ合う喜びのあふれた歌であった。
  瘠せやせて四十五キロの夫の傍(かたへ)雌かまきりになつた気がする
 カマキリの雄は雌に食べられてしまう。思わず笑ってしまうけれど、深刻な状況を詠んだ歌なのだった。
  患者食の節分の豆もらひしが夫とものいひし最後のやうな
 入院した夫は、やがて話すこともできなくなってゆく。最後の会話は「節分の豆」を分け合って食べたときだった、と思い出しているのが哀切である。早春の寒さも感じられ、「最後のやうな」と言いさしで終わった結句にも、虚ろな響きがある。
  病院の暁に息止まりゐし夫(つま)こそよけれ我もしかあれ
 夫は入院中に、誰にも看取られずに亡くなったようだ。普通は悲しむところだが、石川さんはそれでいいのだ、と歌う。そして自分もそのように死ぬのがよいと歌っている。野生の生き物は孤独に死んでいく。それが自然な死の在り方なのだ、という信念があったのかもしれない。それは私の理解を超えた思いであるけれども、強烈な印象を残す一首だ。
  大白鳥まことに巨大 侶(とも)なくてゐるをあはれと思はざるまで
 白鳥が一羽だけで水に浮かんでいるのを見たのだろう。大きくて堂々としているので、孤独であっても哀れな感じがまったくしない。自分も夫を失った身だが、こんなふうに大きな存在感で生きていたい。そんな思いが込められた一首なのだろう。夫の死をストレートに嘆き悲しむ歌は『ゆきあひの空』にはあまり多くないが、この歌を読むと、夫の死で自分も弱くなってはいけないと耐えていた石川さんの思いが伝わってくるように思う。
  わたくしも此処で死ねるか姑(はは)の死にしベッドを借りてお昼寝をする
 これもユーモラスな口調の中に、シビアな思いが秘められている歌であろう。やはり自分の慣れ親しんだ家で最期を迎えたいという願いはあったのか。そのとおりになったのかどうか分からない。

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