青蟬通信

/ 吉川 宏志

2020年10月号

 外山滋比古氏が七月に亡くなった。一九九四年に『近代読者論』の新版がみすず書房から出て、私は〈読者論〉のおもしろさに引き込まれるようになった。忘れがたい一冊なのである。前田愛の『近代読者の成立』が岩波書店の同時代ライブラリーで出たのも一九九三年だから、〈近代読者〉が、当時ちょっとしたブームになっていたのだろうか。
 外山氏の本は、元々が一九六九年の刊行なので、学術的には少し古くなっているところがあるのかもしれない。だが、外山の評論は、謎の提示がすごく魅力的なのである。この本の冒頭に置かれている謎は、「親しい人から来た手紙を読んでいても、手紙の読者であるとは言わない。本を読むときと、手紙を読むときとでは、読み方がちがう」。では何が違うのか、と問いかけるのである。じつにおもしろい視点ではないだろうか。
「同じ手紙であっても、自分のところへ来た手紙では読者になることはできないが、たとえば、文学者が他人に宛てた手紙を読む場合は、りっぱに読者である」。
 連想するのが、正岡子規の
  十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ
などのいわゆる「はがき歌」である。この一首をもらった岡麓(子規の弟子の歌人)は、あまりにも身近すぎて、普通の読者としては歌を読めなかっただろう。まず、十四日に子規の家に行くかどうかを決めることが大事だった。
 しかし私たちは、この歌を一つの〈作品〉として読むことができる。それは、子規と私たちの間に、時間的な距離が生まれているからだ。
 「作者から遠ざかる読み手は、その距離に比例して、作品が分からなくなる」と外山は述べる。岡麓にとって、子規の家までの道は見慣れたものだったろう。すべては分かり合えていた。しかし私たちには、岡麓の家から子規までの家への道順なんて分からない(調べている研究者はいるかもしれないが)。明治時代に、その道からどんな風景が見えたのか、想像をするしかない。
 書かれた言葉に対して想像力を強く働かせる必要があること。そこから「読者意識」が生じるのだと外山は考える。つまり、自分の力で、書かれていない空白部分を埋めなければならない、という読み手の自己意識が、「近代読者」を生み出し、さらに〈作品〉を成立させるのである。〈作品〉を生み出すのは、ある意味では作者ではなくて、読者なのだ、という一種の逆転が、ここで見えてくる。
 外山はさらに興味深いことを書いている。
「韻文の文学が朗唱による感覚的連繋によって、作者と受けとり手を結びつけているのに、散文で誌された歴史では、作者と読み手の心理的距離がより大きかったであろうと想像される。」
「作者が読者の身近かな人で、その人柄や考え方などをよく知っているような場合、読者は作品からしばしば作者の肉声に近いものを感じ取るであろう。」
 これは韻文である短歌ではしばしば起きる現象だろう。実際には朗唱をしなくても、リズムがあるために、作者と読者は「感覚的連繋」を起こす。そして作者を身近に知っているケースが多いため、「肉声に近いもの」を感じてしまう。それが短歌の一つの魅力でもあるのだ。作者と読者が完全に分離されていない。ただしそれに甘えすぎて、「読者意識」が弱くなってしまうと、別の弊害が生まれてくるのだろうが。
  たぶん君に会いたいんだろう小説のまた同じ行ばかり読んでて
                         近江瞬『飛び散れ、水たち』
  人生はところてんつて言つたのは誰だつけわたしだつけ誰だつけ
                        逢坂みずき『虹を見つける達人』

 「たり」「けり」などの文語は、作者と読者の間に距離感を生み出すことが多い。それに対し、現在の口語短歌には、読者にさりげなく語りかける調子がしばしば見られる。それは、作者と読者の「感覚的連繋」を強く求めているからではないだろうか。孤独な時代であるからこそ、そんな文体が生まれてくるのかもしれない。

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