八角堂便り

歌で味わう②〈続・揚げもん〉 / なみの亜子

2020年8月号

 もうちょい揚げもんにこだわりたい。私事で恐縮だが、この春、介護や別居問題、ペットロスにコロナ自粛もかぶさり、ほとほと弱ってしまった。塞がった胸に食物が入っていかない。だけど「天ぷら」なら食べられる食べたい。なぜかそう思った。店の、でなくウチの天ぷらが。
  皿いつぱい天ぷら揚げたいねと言へり施設の母は紅葉見つつ
 とってもぐっとくる。高齢者施設の母を訪ねる娘。もうあまりはっきりしたことを表現しないであろう「母」が、ふと「皿いつぱい天ぷら揚げたいね」と言った。この表現の臨場感。さらに、食べたいね、ではなく、揚げたいね、というところにうるうるが止まらない。そうやねん、天ぷらは「皿いっぱい」やねん、揚げる人えらいねんすごいねん。
 油の温度の低いうちに野菜類から揚げていく。さつま芋、南瓜、蓮根など、じっくり火を通したい根菜から、茄子、豆類、葉物へ。ウチではここで皿がいっぱいになって、第一弾として食卓へ。食卓で待ち構えていた者どもは、間髪を入れず揚げたてをあっつ、とか、しゃくしゃく〜とか言いもって食いに入る。傍らで母は、新しい皿にエビやキスやイカを高温でからっと揚げて並べていく。いよいよ天ぷらオールスターズの登場だ。ただしスター系は水気が多い素材ゆえ、油周りの場が荒れる。とにかく油がハネる。熱いっ、やだあ、と母は極力顔から下を油から遠ざけるという不思議なエビ型体勢で闘い続ける。皿いっぱいに揚がったら、食う者どもの勢いがさらにパワーアップ。しかし、揚げ終わって食卓に加わった母は、「油に酔った」と言ってさらさらとお茶漬けかなんかで済ませてしまう。おいしいのに。すごくおいしいのに。
 残りの天ぷらも楽しみだった。うどんやそばにトッピングする。冷たい芋天に醤油をかけたのはおやつに最高。一番はさっと天つゆで煮てご飯に載せる、二日目天丼。これが関東出身のウチの両親の流儀だったのかどうか。関西に住んで三十年以上になるが、こっちの天丼は天ぷらを煮ない。さらっと甘辛いタレを後がけする感じ。衣クタクタ飯つゆだくが好きなのに、なんかちゃう。確か、昭和四十年代の東京下町を舞台とする「寺内貫太郎一家」では、前日の残り天ぷらでお昼にする、というのを、きん婆さんが楽しみにしていた。お昼は精進揚げの煮たのだと思って朝ご飯軽めにしといたよ的なことを言って、早々に卓袱台にスタンバイ。調理した孫の静江が、ちょっとしょっぱくなっちゃったかも、と言うと婆さん、お嫁にやる前にちゃんと教えておきなさいよ、と嫁の里子を叱る。ふふ。
 歌は栗木京子『水仙の章』。「天ぷらを揚げたい」と言う母を詠んで、ここまでしみじみと味わわせる歌力。この「天ぷら」は遠い日の家族と食卓を連れてくる。

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