青蟬通信

河野裕子と青空 / 吉川 宏志

2020年8月号

 河野裕子さんは、青空が嫌いだ、とよく言っていた。「なぜかうも青い空がいやなのか答へ得る一人花山多佳子」(『季の栞』)というストレートな一首もある。花山さんに「青空が嫌だ」と話したら、共感してくれた、という経験があったのだろうか。特に、重病になってからの歌には、青空の不安を詠んだ歌が多い。その中でも、
  あおぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中(いへぢゆう)あをぞらだらけ
                                  『母系』
は、特に奇妙で、インパクトがある。青空は美しいのになぜ?と思う人もいるかもしれない。おそらく河野さんは、何も存在しない、からっぽな青空に、命を吸い込まれそうな不気味さを感じていたのではないか。
 では、河野裕子の歌集で、青空はどのように詠まれてきたのだろう。調べてみると、初期の歌集では、青い空はほとんど詠まれていない。
 明確に空の青さを歌っている作は、第一歌集『森のやうに獣のやうに』は二首、第二歌集『ひるがほ』一首、第三歌集『桜森』はゼロ、第四歌集『はやりを』は一首。
 これは意外だった。一般的に、空の青さは、短歌ではよく歌われる。意識的に歌わなかったとしか思えない。
  森のやうに獣のやうにわれは生く群青の空耳研ぐばかり
                          『森のやうに獣のやうに』
 歌集名となった一首で、空を野性的なものとして歌っているが、単なる青空ではなく「群青の空」であるところに、強い美意識があるだろう。
  空むざとまつ青なれば棒立ちのこのべらばうな寂しさは何
                             『はやりを』
 河野の三十代前半の歌。青空におびえる感覚がすでに現れていると言えよう。「むざと」や「べらばうな」といった荒々しい口語で、青空に立ち向かおうとしている感じもある。
  みづうみの湿りを吸ひてどこまでも春の曇天膨れてゆけり
                             『桜森』
 その一方、ぼんやりとした曇天には、包み込まれるような安心感を覚えていたようである。
 「青空」という名詞が初めて出てくるのは、なんと第五歌集『紅』である。しかもこんな一首だ。
  その死後の青空をいくども歌ひし人睡りしままに死にしといへり
                                『紅』
 誰を詠んだ歌かは分からない。ただ、青空は死につながるもの、という感覚は、こうしたところから生じ
てきたのではないか。
 ただ、『紅』には、青空に親近感を持っている歌も出てくる。
  あをいあをいと冬晴れの空を言ふ子らの日本語母音家内(やぬち)に響き来
 アメリカでの二年間の生活を背景にした歌。大陸の広大な空に、日本に居るときとは異なる感慨を持っただろうし、日本への懐かしい思いも呼び起こされたのだろう。だから「あをいあをい」という子どもの言葉が、とりわけ心に残ったのである。
 アメリカから帰国し、河野は青空を忌避するのではなく、もっと複雑な感覚を込めて歌うようになる。怖れながらも惹きつけられるような、不思議な表現が生まれているのだ。
  青空をおほきな斑(まだら)と思ふ夜よあなたが死んで十年になる
                               『家』
  しつかりと晴れゐる今日の青空の何処(どこ)かことこと可愛(かわゆ)き音す
 青空を異なる世界への通路のように感じている。「おほきな斑」は何かぞっとさせられる表現だが、「可愛ゆき音」のほうは、妖精がひそんでいるのを感知したような楽しさがある。
 だが、青空と和睦していた時期は短く、病気の後は、青空を嫌悪する方向に傾いていくのだけれど。
 河野さんの青空の歌では、私は、
  青い空とてもにぎやかに晴れながら昏れてゆくなりまだ青いまま
                                『季の栞』
という歌が最も好きである。とてもシンプルな歌だ。しかし、こんなに世界は明るく楽しいのに、消えていかなければならない切なさが伝わってきて、胸に沁みるのである。
 青空とは〈無〉そのものと言えるだろうが、〈無〉に対する非常に鋭い感受性を抱えつつ、河野さんは生きていたのだと思う。

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