八角堂便り

わく / 小林 信也

2020年7月号

 しばらく前のツイッターでのこと。「ライブで客席が湧く」というような書き込みがあって、それに対して「そこは「沸く」とすべきではないか」という意見が出されていた。私もそれは「沸く」かな、でも「客席から歓声がわく」だったら「湧く」だよな、などと思いつつ、その時は、「「わく」という和語は多分「ワーッと盛り上がる」ような意味を表す言葉で、訓読みの漢字はその当て字だから、どっちでもいいんじゃないですかね。」などと書いて、それなりに同意してもらえたものだ。「わく」には他にも温泉が「涌く」、虫が「わく」などもあり、どう違うのだろうとも思っていた。(あとで調べたら「涌く」と「湧く」は同源で、虫は「湧く」で良いらしい。)
 一般に、生活に繋がりが深いほど単語は細分化されるし、焦点の当て方も言語や文化で異なる。アラビア語にはラクダをあらわす単語が二千あると聞いたことがある。真偽の程は三井さんや千種さんに伺えば明らかになろうが、ありそうな話ではある。稲も米もご飯も英語ではライスになるのもお馴染みのことだ。桜は日本ではまず花であり、その実は「桜ん坊」と言うわけだが、英語でチェリーと言ったら実のことで、花はチェリーブラッサム(さくらんぼの花)である。先日見た映画『1917』では、主人公たち(英国人)が桜の木の傍を通る時の会話で桜を果樹扱いしていて、ストーリーとは関係ない部分で驚いたものだった。
 それにしても、訓読みとはつくづくうまいやり方を考えたものだと思う。漢語での把握と、和語での把握を同時に行うことができる。そこに有る水がぐらぐらすること(沸く)と、無いものが現れること(湧く)とを、使い分けつつ、同時に、統一した感覚も得ることができるのだから。先人のアイデア?に感謝するばかりである。そういえば「わくわくする」の「わくわく」も「わく」から来ているらしい。この「わく」は「湧く」「沸く」のどちらがふさわしいだろう。
 短歌にも触れないといけない。河野裕子さんの「わく」の歌を引く。
  ふつふつと湧くこの寂しさは何ならむ級友らみな卒へし教室に立つ時
                          『森のやうに獣のやうに』
  湧くやうに咲きゐし梅がひのくれはほかりほかりと固まりになる
                                   『庭』

 二首目は「沸く」でも歌は成り立つように思うが、意味合いは違ってくる。これが万葉以前であれば「わくやうにさく」は一種類の意味でしかなかったと思えば感慨深い。次の歌は歌集『歩く』の巻末の歌。「わく」でなく「ふく」だが、この「わつとふく」が、「わく」の原初の意味に触れているように思うのだ。
  滾る湯に菠薐草(はうれんさう)を放ちたりわつと噴きくるヨモツヒラサカ
                                  『歩く』

ページトップへ