八角堂便り

おかあさんの荷物 / 山下 洋

2020年2月号

 ラジオから流れるヒット曲と、詩歌や小説の一節が自分の中でリンクしてしまっていて、イントロが流れると、その一行が反射的に浮かぶ、ということがある。
 たとえば、ローリングストーンズ「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」。〈It is the evening of the day / I sit and watch the children play〉と聞くと〈遊びをせんとや生まれけむ/戯れせんとや生まれけむ〉が思い浮かぶのだ。『梁塵秘抄』に読んだのは、曲を知ったずいぶん後のことなのだが。
 さきに文学に触れていたものもある。岩崎宏美「思秋期」、エンディング近く〈お元気ですかみなさん/いつか逢いましょう〉。はじめて聞いたとき、どういうわけか、太宰治『女生徒』の最後、〈もう、ふたたびお目にかかりません。〉を思ったのだった。さらには、そこから井伏鱒二訳「勧酒」へ。〈「サヨナラ」ダケガ人生ダ〉へ。今では、〈足音もなく行き過ぎた〉から〈「サヨナラ」ダケガ〉までは一直線につながっている。
 この稿を書いている二〇一九年十二月、立冬を過ぎて聞こえてきた「思秋期」。昨年(二〇一八年)お別れした多くの方々に思いを馳せていて。そう言えば、木枝泰子さんの一周忌が過ぎたばかりだな、と気がついた。
 木枝さんとは、入会時期がほとんど同じ(七〇年代末)。古賀泰子さん宅で行われていた校正や発送の作業でしばしばご一緒した。就職して、古賀さん宅になかなか伺えなくなったこともあって、お会いする機会が減り、直接お声を聞くことは少なくなっていた。
 電話をいただいたのは五年ほど前のことだったろうか。久しぶりだったので、すぐには分からなかったのだが、聞き覚えのある穏やかなゆっくりした語り口で名乗られて、ああ木枝さん。用件は、蔵書を整理しようと思うので、何冊か送ってもよいかとのことだった。
 段ボール箱で三箱ほどくださった。届いた箱を開けると、ぎっしり詰められた本の隙間の詰草、新聞紙でもビニールのプチプチでもない。乾物やら出汁パックやらフリーズドライの味噌汁やら。そばで見ていた妻が「おかあさんの荷物やね」と言った。そんな箱詰めだった。
 木枝さんの塔誌最後の月詠は二〇一七年三月。そのうちの一首、
  遠のきて又近づきて思い出は病室のぞく雲のごと過ぐ
 二〇一四年八月号にはこんな歌がある。
  足萎えとなりて恋ほしむ哲学の径のミツマタ川面のほとり
 銀閣寺疏水べりの三椏の花。木枝さんもお好きだったのだ。うっかりすると見逃してしまう。この二月号が届く頃には、まだ咲いていないことだろう。三月になったら、花時を逸さぬように、三椏に逢いに行こうと思う。

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