青蟬通信

茂吉と宣伝戦 / 吉川 宏志

2019年9月号

 山崎雅弘の『歴史戦と思想戦』(集英社新書)を読んだ。最近の歴史修正主義(「南京事件は無かった」のように、戦時中に日本は悪いことをしていなかったと主張すること)に対して、厳しい批判を加えていて、現在、非常に価値のある一冊だと思う。
 特に私は、日中戦争の時期に推進された「宣伝戦」についての解説がとても興味深かった。
 当時、日本軍の侵略に対して、中国では抵抗運動が激しくなっていた。そして国際社会でも、日本を非難する声が高まっていく。
 それに危機感をもった日本政府は、昭和一二年(一九三七)に内閣情報部を設立し、〈正しい情報〉を広めることで、戦争を正当化しようと目論んだのである。初代の内閣情報部長となった横溝光暉は、「日本人がその特性ゆえに「宣伝戦」で消極的になっていると指摘し、今後は積極的に「宣伝戦」を展開して、日本側の言い分や日本側が事実と認める情報を「声を大にして言うべきだ」と提言しました。」
 この部分を読み、斎藤茂吉が「宣伝戦」について書いた文章に酷似していることに驚かされた。
「かういふ事をよく聞く。宣伝の旨いのは亡国の徴だ、ミミクリー(注・擬態のこと)の発達してゐるのは弱小動物の常態だ。日本はただ常道を歩んで傲然として居ればいい。何も動物界に於ける弱小動物の真似する必要はない。また斯ういふことも聞く。西洋が弱小者を贔屓するのは人間の常情だから、幾ら日本が向うに材料を送つても取上げないから駄目だ。併し、これは結局負惜しみといふことにならないだらうか。(略)
 宣伝も戦の一部をなす現実に於て、宣伝戦に負けるといふことは決して自慢にはならない。」
(斎藤茂吉全集第六巻「宣伝(一)」)
 昭和一二年、茂吉は「宣伝戦」に関する文章を五編くらい執筆している。どれも、日本は宣伝を軽視しているうえに下手なので中国に負けている、という内容である。宣伝は卑怯なことだが、敵がやるのだからこちらもどんどんやるべきだ、と主張しているわけである。急にこうした文章が増えることが前から気になっていたのだが、日本政府の意向に、茂吉は敏感に反応していたのである。
 茂吉は、なぜ宣伝が下手なのかについて、日本の情報の出し方は「公式的、概念的」で何の感動も与えないからだと述べ、「写生的な妙味」が必要だと書いている。物事を具体的・直接的に描くことにより、読者の心を揺さぶる「写生」は、情報戦でも有益だと考えたのである。「写生」とナショナリズムは、こうして結びついていったのだ。
「僕が大正十二年、関東大震災の時に独逸のミユンヘンにゐたが、あの時に朝鮮人を殺したといふことが、大々的に宣伝された。それがニルンベルクの新聞などには、全くの写生的な文章で、西洋のどんな鈍い頭の人間でも頷かなければならぬやうな書きぶりであつた。」(同)
 朝鮮人虐殺はむろん事実だったが、茂吉はそれを認めず、デマが「写生的」に書かれているから、西洋人が信じてしまうのだと思い込んだ。
 茂吉がヨーロッパに留学していたとき、日本人差別を少なからず体験したことは間違いない。しかし、差別自体を批判するのではなく、日本人の優れている点が宣伝されていないために、差別が生じるのだと考えてしまった。そこから、西洋に認められたい強烈なコンプレックスが生み出される。しかしどうしても日本の〈正しさ〉は認めてもらえず、これまでの鬱憤が爆発し、太平洋戦争へとなだれこんでいったのだ。
 最近、『主戦場』という映画を観た。慰安婦について、日本には罪責がないという主張を、アメリカに認めさせようと「宣伝戦」に邁進する人々の姿を描いたドキュメンタリーである。そんな主張は受け入れられず、「恥知らず」と非難されるのだが、彼らは決してやめようとしない。
 他国の人々を傷つけていることを理解せず、上手く宣伝すれば自国の〈正しさ〉は分かってもらえるはずだ、と考える独善的な心理。それが昭和初期から変わらず存在していることに、暗澹とした気分になる。

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