八角堂便り

佐太郎の曇りの歌 / 花山 多佳子

2019年9月号

 このところ関東では梅雨曇りの日々が続き、日差しがほとんどない。気温も上がらない。七月とは思えない肌寒さだ。
 佐太郎を書くことがあって、読み返していたのだけれど、こちらも実に曇りの歌が多い。特に『帰潮』。何でこんなに、いつも曇ってるのか。しかも、曇りの歌に、魅力的な歌がけっこうある。
  昼すぎの不吉(ふきつ)なる春の曇日(くもりび)に約束ありて家いでて行く
 なぜ「不吉なる」か不明なところが佐太郎だ。とつぜん「不吉」といわれてもと思いつつ「春の曇日」だから、というだけでわかる気がしてくる。でも春の曇りの日は多いし、いつも不吉なはずはない。「約束ありて」だからなのだ、と思う。約束があって家をでなければならないのが、何か不安というか億劫なのだ。その無意識の心理が、曇りにつながっている。
  しろじろと虎杖(いたどり)の咲く崖(がけ)が見え幸(さいはひ)のなき曇につづく
 これも「幸のなき」が「曇」にかかる。崖に群生する虎杖の花の白さが、曇の白さにつながっている。「とりとめのなき曇につづく」としても、いかにも佐太郎だけど、佐太郎は時にこういう一押しをやる。たとえば、これは雨だけれども「降りいでて漸くしげき寒の雨なみだのごとき過去が充ちくる」の「なみだのごとき」とか。佐太郎が好かれるのは、こういうフレーズ性も一つあるだろう。上田三四二が『帰潮』は感傷性が強すぎるから『歩道』を評価する、と言ったのも、よくわかるのだ。「幸のなき曇」には若いときとても感情移入した歌である。
  立ちあがりざまに背のびをしたる猫さむき曇にすぐ出でて行く
 この動作がすごく猫、だ。背のびしてから、すぐ外へ出ていく。それまでの体勢から逡巡もなく、行くときは行く。「外へ」でなく猫は「さむき曇」に出ていくのだ。「すぐ」に作者の心理がおのずから出ている。「約束ありて家いでてゆく」自分とは違う。
  (たたかひ)はそこにあるかとおもふまで悲し曇のはての夕焼
 『帰潮』は昭和二十二年~二十五年までの歌を収録しているが、戦後を思わせる言葉は出てこない。二首だけである。「曇のはて」に「戦」を感じる。すぐそこに。空間として、時間は一つながりなのだ。「曇」は戦後そのものなのかもしれない。戦後は「青空」に象徴されることが多いけれど。
 「戦」が出てくる歌はもう一首。
  忽ちにして迫りたる戦ひを午後に伝へし日のゆふまぐれ
 で、二十五年の朝鮮戦争の報道を詠む。時事を語らない佐太郎のめずらしい一首であり怖れは深い。そのあとの有名歌。
  桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし
 ここでは晴れて輝く庭なのである。

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