ブログ

カテゴリー "真中朋久"

押し終えて巨き客船を離れ去るタグボート一ついたく静かに/清原日出夫『実生の檜』

タグボートは公式文書などでは「曳船」と書かれていることが多いが、大型船の入港・出港をサポートするときには、曳くだけでなく、押すこともしばしば。大型船のボディには、構造的に押したらへこんでしまう部分もあるので、押してもよいところに「TUG」と書いてある。船首にゴムタイヤなどをつけたタグボートがそこを押すのは、なんだかツボを押しているような感じもする。

写真のこれは、ポルトガル船籍のタンカー「STOLT APAL」が大阪港・桜島埠頭に接岸するところ。
タンカーといっても原油タンカーではなく、化学製品または石油製品を運ぶ船。
 
タグボートは日本海事興業の「日興丸」。危険物を運ぶタンカーは入念な安全対策が必要で、もう1隻、奥のほうで日本栄船の「あさか丸」が仕事をしている。

ところで、もう1隻。小さな船がいるのが見えるだろうか。

この船がそうなのかどうかはわからないが、入港・出港の際には繋留するロープを岸に確実に渡したりするための作業船が出ることが多い。「繋離船」あるいは「綱取り船」などとも呼ばれる。
その他に沖から港内に入るために水先人(パイロット、水先案内人)が乗り込んでいる場合には、着岸後に下船した水先人を迎えに来ている船ということもある。

港湾作業もどんどん自動化、省力化が進んでゆくのだろうけれど、今のところはまだ、たくさんの船、たくさんの人が働いている様子が見える。

鵯来れば目白逃げちり百舌の声に鵯翔けり去りぬ赤きは豆柿/北原白秋『風隱集』

夕方なので光量不足。ややピントが甘い。

モズやヒヨドリの姿はなし。
カラスとムクドリ、スズメが少し離れたところにいたが、とりあえずは落ちついて食事ができる様子。

柿の種類はわからないが、これは普通に庭木として植えられたもので甘い実がつくのだろう。

掲出歌の「豆柿」は、小さな実のつく種類だろうが、「豆柿」と言われるのは柿渋をとるために植えたもののはず。
昔はあちこちに植えられて、柿渋が生産され、それを使う場面も多かった。

ところで、メジロはヒヨドリに追い立てられているばかりかというと、そうでもないらしい。

ヒヨが来て柿の実裂けてメジロくる五、六羽どれもふっくらきみどり/隈元榮子『朝はめざめて』

メジロは小さい鳥で、嘴は強くない。
ヒヨドリが穴をあけて食べちらかした後で「お相伴にあずかる」ということだとか。

ぬばたまのくろしお号にてまり唄黄泉路にそれし父と弟/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』


 
パンダくろしお号が通過する。
作者は和歌山・田辺のご出身。亡き人を思いながらの旅だろう。

「てまり唄」というのは、おそらく西條八十(作詞)+中山晋平(作曲)の「まりと殿様」。
今はどうかわからないが、和歌山方面にゆく特急「くろしお」の車内アナウンスのチャイムに使われていたらしい。
 
しかし、いつもながら思うことは……
このパンダの目つきが悪いことよ。

ぎらぎら

白き雲おもむろに形移るまに屋根の霜日に融けゆく早し/佐藤佐太郎『星宿』

雲は少なく、ほぼ快晴の朝。
寺の屋根に霜がついているが、朝日をあびてどんどん溶けてゆく。

日陰になっているところだけ霜が残っている。

夜半冷ゆる厨べに茶を焙じをり疲れ帰りしわが父のため/諏訪雅子『遠花原』

少し前に梶原さい子さんが「ほうじ茶」のことを書いておられた。
私も大好き。
ことに、寒い日に、ちょっとした甘いものを食べながらのお茶は何よりのもの。

ふだん飲むときは、自分で焙じる。乾煎りできる小さな鍋で強すぎず弱すぎない火でゆっくりと。火を入れすぎると焦げ臭くなるが、そのすこし手前で香りが立つのが良い。

少し古くなった緑茶とか、あまり高級ではない緑茶も、焙じると美味しく味わえる。
 

冬。そろそろ山間部や標高の高いところでは雪のシーズンでもある。

小さき閃光發せりと覺ゆ雪來る日濕度計の中の金の毛髪/葛原妙子『葡萄木立』

「閃光」は「と覺ゆ」なのでリアリズムではないが、寒さに引き締まった空気の感じなどを思ったらよいのだろう。空気中の水分が変わらないとき、気温が下がれば湿度が上がる。湿度が100%近くになれば結露したり霧が出たりする。
見ていてわかるほどではないはずだが、冷え込んできたと思うとき、ふと湿度計の針が動くということはあるかもしれない。アナログ式の指針とか、記録ペンとかはひっかかかりを越えてきゅうに動くということもある。
 
その毛髪湿度計。今でも使われている。


写真のものは、国立民族学博物館の展示。写真撮影OKのコーナーで展示物を撮らず、湿度計の写真を撮る。
束にした毛髪を上下に張って、その中ほどを横(奥)に引っ張るようになっていて、その張力から湿度を感じるようになっている。

しばしば目にするのは博物館や美術館。そして寺社の宝物殿。

温度計・湿度計に守られゐる宝 まことさびしき宝にむかふ/松川洋子『聖母月』
ほほゑみを返さむとすれば湿度計管理下の函に百済観音/桜川冴子『キットカットの声援』

とはいえ、最近はデジタル式の電気的な仕組みを使ったセンサーのものも多くなった。

同じく国立民族学博物館の写真撮影コーナーにて。

夜の帰り道。ネズミモチが満開であることに気づく。夜目にもあざやか。

ネズミモチの花の匂いと言えばすぐ分かってくれるほどの気安さ/永田紅『いま二センチ』
散歩より歸りて曲がる生垣にわれに見よとぞ匂ふ鼠黐/早川幾忠『八十有八年』

 
香りも強いのだが、良い香りなのかどうかというと、なかなか微妙なところがある。キンモクセイであったり、ウメであったりすれば、だいたい誰でも知っているけれど、ネズミモチの花をそれと意識している人はそれほど多くないから、「ああ、ネズミモチの匂いね」とわかりあえるのは、それだけで親しく感じることだろう。
微妙な香というのは、悪臭というのとはまた違って「われに見よとぞ」……つまり、自己主張といえば、そういうものだ。

ところで写真のこのネズミモチはかなり大きい。巨木というほどではないが2階の軒を越えるぐらいの高さがある。おそらくこれはトウネズミモチ。

やうやくに夏のひかりのあまねくて唐鼠黐(たうねず)は花あをじろし見ゆ/林安一『刻文の魚』

木に花が咲くといえば前田夕暮の、ただあれば「四月」という限定もあるから、桜の花などを思い浮かべて読むのだろう。
だが、おおかたの植物は花が咲く。花と見えないような花が咲くものもある。

これはナンキンハゼ。
ナンキンハゼは、白い実であったり紅葉したりすることが歌の題材になるが、花の歌は少ない。
1首見つけた。
 

枝先に雄花を数多垂らしゐる南京櫨は雨に匂へり/東睦夫『生駒嶺の麓』

 
ああなるほど。垂れているのは雄花。では雌花は?と思って調べてみると、雄花がたくさんついている穂の根本のあたりにいくつか雌花があるらしい。

年の暮に仕事なくなりて来て遊ぶ水族館にとおる児の声/田中栄『水明』

「仕事なくなりて」もいろいろだが、〈失業〉という意味だとどうだろう。
最近は各種の施設の入場料もそれなりのお値段になって、ただの暇つぶしに入るには、ちょっとつらい感じでもあるか。
 
ところで、それはつまり水族館の運営にもお金がかかるということで、水槽の水質維持のために酸素を入れたり、フィルターを通して汚れをとったり、そのためにポンプを動かさなければならない。ヒーターや冷却器で温度を調節したりもする。光熱費がどうなるか、この冬の家庭のそれを見ると、水族館も心配になる。
大災害が起これば、水槽の破損がなくても停電のために多くの魚を死なせてしまったりもする。

そういうことがいろいろあるわけだが、水質維持の話に戻すと、これはなかなか人工的な海水だけでは魚の健康を保つことができず、定期的に海水を運んでくる必要があるらしい。

これは大阪・天保山にある「海遊館」の前。湾内クルーズの船つき場があるが、その横に、小型の貨物船ふうの船が停泊していることがある。煙突には海遊館のマークがついている。
この船が沖のほうで新鮮な海水を汲んでくる。

もっと自然の豊かなところなら、すぐそこの海水を汲んだらよいのだろうけれど、なにぶんここは大阪湾。少し遠くまで行って海水を汲んでくることになる。

こちらは東京・池袋。サンシャインシティの裏手に、しばしばこの大型のトラックが停車している。鮮魚輸送車に似ているが、かなり大きい。
どうやらこれも伊豆方面から水族館のために海水を運んでくるものらしい。

水族館も、その舞台裏には、いろいろな仕事がある。
そういうことを想像してみるのも面白い。

別の日。海遊館の「第八先山」が戻ってくるところ。

きょうの土佐堀川。1月の中旬にはいなかったユリカモメが来ていた。数はそれほど多くないがそれなりの群れ。

夕方には高くたかく、ぐるぐるまわりながら登っていった。
塒に帰るとき、こんなふうに「鳥柱」をつくって高度をあげてゆくらしいが、どのへんを塒にしているのだろう?

なあ、どこなん?

鳥柱この世につづくまたの世のあるごとく空を捩じりていたり/永田紅『春の顕微鏡』

ページトップへ