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カテゴリー "岡部史"

岡部史です、こんにちは。
滋賀県にある石山寺は、紫式部が『源氏物語』を構想した、と
されている場所。今年の大河ドラマ「光る君へ」は、まさに、
紫式部を主人公としていて、今、色々と話題になってますね。

昨年秋、本当に久しぶりに(三十五年ぶりくらいかな)に、
石山寺に出かけてきました。紅葉をやや過ぎる頃でしたが。
こちらは、寺の名の由来となった、大きな石。

そういえば、脚本は(偶然ですが)大石静さん! 大胆な脚色に
驚かされますが。
彼女は私の大学の同窓生なのです、って、学科も違うし、面識もないので
何の関係もないのですが。同い年の活躍は頼もしいものです。

龍がどちらかといえば権力者側のお墨付き的な存在であるのに対し
河童は庶民の間に伝承し、各地域で多様に扱われてきた存在、という
印象があります。名称も河童の他に、カワタロ、ガタロ、カワロウ、
カシャンボ、カワノトノ・・・と千差万別、アイヌの間にも同様の
生き物が伝わっていて、ミンツチ、と呼ばれていたそうです。

普段はお皿に水を溜めていて、乾くと命に係わるとか、人の尻子玉を抜く、
とか、馬を水に引き込むとか、人に相撲を挑むとか・・・。このあたりが
かなり広く伝わっている属性で、後は地域によってまちまち。年に二度、
山と川の間を移動する、と伝えられている地域もあれば、大工が人形を
作って仕事を手伝わせ、終ると川に放ったのが河童になった、などと
伝えている地域もあるらしい。河童の話は本当に多様です。
豊かな水の国である日本で、人々が深く水と関わってきたからでしょう。
想像をたくましくしながら、水を愛し、畏れつつ水と親しんできた経緯が
河童と言う存在を通して読み取れます。

 河郎の恋する宿や夏の月 蕪村

今回のブログは、来年の辰年にちなみ、龍をまくらに、
水にちなんだ国内の事物でまとめてみました。皆さま、良いお年を。

今春、富山県高岡市を訪れる機会がありました。
町なかを一人で歩いていて、市立博物館をみつけ、入ってみると
面白い展示の数々。つい時間を忘れて見入ってしまいました。

こちらは高台にある田圃へ、用水をくみ上げるための足踏車の写真です。
多くは炎天下の作業になったでしょう、想像すると過酷な労働ですよね。
明治から昭和初期にかけて、写真のような水車状の器具は、色々な場面で活躍して
いて、短歌にも多く詠まれています。こうした現場を知る(或いは想像する)
ことができる、という点でも、近代短歌は興味深いものです。

水車や踏車は明治以前からのものでしょうが、作業現場が歌に詠まれるように
なったのは、明治以降になってからのことですから。

 冬日和こんにやく玉を粉に搗くと白きほこり立つ水車小屋の上
                     古泉千樫『青牛集』
 
 群馬県西部での作品。蒟蒻製造の過程でも水車が使われていたのですね。

 山おくの小村の日和ものおとは秋田のなかに米つく添水
                     中村憲吉『しがらみ』

こちらは広島県での作品。憲吉の実家は酒造業を営んでいて、醸造用の米を
搗くために、添水(そうず)と呼ばれる水車の一種を使っていたようです。

先月下旬の山形新聞(昨年末から電子版を購読しています)に、
山形市近辺を流れる馬見ヶ崎川水源の5つの用水路(山形五堰)が
世界かんがい遺産に登録されたことが掲載されていました。
市街地を網目状に走る堰、という珍しさから注目され、登録に至ったとか。

私はこの四月、なんと半世紀ぶりに母の実家近くの山形市に足を運び、
子どもの頃、何度も来ていた市の中心部、七日町にも出かけてきました。
この写真も街のど真ん中で撮影したもの。

江戸時代に入って間もない頃、山形城主を務めていた鳥居忠政が築いた堰で、
その名も御殿堰。最近になって復元・整備されたらしくて、子供の頃は見た
記憶がありません(いや、目に入っていなかっただけかもしれません)。

水源は蔵王山らしい。水が澄んでいて勢いがあって、しばらく見とれていました。
ちなみに、世界かんがい遺産に登録されている日本の施設は昨年までで、
47か所。その中には、満濃池(香川)、通潤用水(熊本)なども含まれています。

  風説よりはかなき影を見せて行く通潤橋の彼方へ雲が
                上田千鶴子『星のしづく』

岡部史です、こんにちは。来年は辰年ですね。ごぞんじのように
龍はもとは中国の想像上の霊獣でしたが、日本に伝わると、
古くからあった蛇信仰、水神と結びついて広まったようです(諸説あり)。
水田耕作を生業としていた日本国民の間に不可欠な、水をつかさどる神、
というかたちで、浸透していったということらしい。
国や地域によって、龍のイメージは異なり、西洋では邪悪な生き物として
忌み嫌われているようです。

こちらは、ネパールで購入した龍の置物。右前足が掴んでいる
筒の部分に蝋燭が立てられるようにできています。結構、迫力あるでしょう?

 岩肌に彫られた龍の鼻の穴いっぱいいっぱいに生えている苔 
            田村穂隆『湖とファルセット』
 天界のくちなは龍とおもふとき慄へやまざるけふ降誕祭 
            水原紫苑『快楽』

岡部史です、こんにちは。度々失礼します。

今夏は信じられないほどの酷暑続き。皆さんのお住まいの地では如何でしょう?
夏の暑さに縁のなかったはずの北海道などでも、
猛暑日に近い気温が続いたりと、心配な状況ですね。

東京では一時、渇水の傾向も報じられていました。酷暑に加えて水の心配も
しなければならないとしたら・・・、と気が重くなってのですが。
そちらは解消傾向にあるようです。

トルコを訪れたのはもう四半世紀も前になりますが、街角に
派手な服装の男性たちが立っていて、いったいどういう人?
と目を奪われました。彼らは水を売っているのでした。

当時、かの地ではペットボトルの飲料もあまり普及していなくて、
また、観光客の気を引く、ということも狙いだったのでしょうね。
その証拠に、現在も水売りさんたちは健在のようです。
記念に上の写真のような水売り人形を購入してきたのですが。
久しぶりに出してみたら、なんと顔の一部が傷んでいました(!)。
日本は湿度が高いせいかなあ・・・。

あるいはここで焉らんわれか身を浄む薔薇水一瓶スークに購(あがな)う
                         三井修『砂の詩学』

母が大の猫嫌い、そして配偶者もまた・・・。そのおかげで、私は家で猫と暮らしたことはないのですが。
義姉は保護猫を三匹も世話していて、一日だけ、兄宅で一緒に過ごすことになりました。ちょっと、緊張する。

こちらはニャジラ(♀)。ツンとしていて、なかなかなじんでくれなかったのですが。

burst

例のおやつで、急接近することに。本当に好きなんですね、、チ・・・・ル。

ふっと気配を感じると、すぐそばに来ていたりして。不思議な生き物です、猫。

 ツンデレてツンドラのことちゃうんかい拗ねとる猫を無造作に抱く 田村龍平
 月のとがりをみてゆく夕べ哭くように笑うようにも猫の声する   中田明子
                  「塔 猫のうたアンソロジー」より
    

最近の円安のせいもあるのでしょう、日本産の食品が輸出されている、
というニュースが頻繁に流れるようになりましたが。
円の値にかかわらず、以前から海外で根強い人気を誇っているものも
確かにあってお菓子のポッキーもその一つ。
日本ではほとんど買わないのに、海外へ行くと、どんなポッキーに
会えるかなと楽しみな私。写真は、台湾で見つけたマンゴー味のポッキーです。

四カ月ほど前の新聞で、インドネシアのジャカルタにポッキーの工場が
新設される、というニュースも読みました。神戸の工場を上回る、
世界最大の規模になるのだとか。国内外で七つ目の工場だそうです。

  早朝の列車に乗り込む生徒たちポキポキポッキーもう食べている
                        俵万智
  昼休み友だちがくれたポッキーを嚙み砕いてはのみこんでいく
                        加藤千恵
  ポッキーの種類増えをり 大震災、サリン事件をひきずる国に
                       小川真理子

お菓子のうたは多いけれど、商品名が出てくる作品となると、ポッキーは
そのトップを行くのですよね。ちなみに世界で販売されるポッキーは名称を
変えているものも多いようです。イスラム圏では豚肉が忌避されるので、
porkに音が近いポッキーも避けられ、ロッキーと呼ばれているのだとか。
また、pockという英語は「あばた」という意味なので、欧州でもポッキーという
名称は避けられ、MIKADOと命名されているのだとか。ちょっと重々しい・・・。

中国の知人からの頂き物です。
20センチ四方ほどの箱を開けると、クッションの効いた
箱の中に、綺麗な陶器がうっとりと眠っていて・・・。

蓋を開けると、ピンポン玉よりやや小さめの玉が入っていました。

包みを剝いてみると、なんとなんと。

小さな柑橘類を乾燥させたものを器に、収まっていたのは、中国のプーアール茶!
青い蜜柑のヘタの部分を切り、内部をくりぬいた後、プーアール茶を詰めて、
乾燥させて作るのだそうです。全行程、手作りなのだとか。

先ずは、お湯を注いで、柑橘の香を楽しみ、その後は大きな器に移して
中身をほぐし出すようにしながら、プーアール茶を頂きました。
中国は凄いなあ・・。何かとても小さなものにも、得体のしれない、底力のような
ものをを感じてしまいます。

  石の蛇黒大陸にかがやける万里の長城 月よりぞみゆ
                  小林幸子『千年紀』

母が天童市の出身だったので、子供の頃、山形市にもよく連れて
行ってもらいました。先々月、思いがけない方から連絡を頂き、
半世紀ぶりに山形県米沢市を訪れることになり・・・。山形市には、
ついでにほんの一泊だけし、市内を駆け足で巡ってきました。
そこで気づいたのは、素晴らしい近代建築が多い街だったということ。

城址公園内にある、済生館本館は、1878年築の木造三階建。取り壊しに
住民からの反対が多く、こちらに移設されて、現在は郷土資料館ですが、
元が病院なので、医療に関する展示が中心です。写真からは分かりにくい
けれど、この塔の奥には中庭を取り囲むように回廊が巡らされた十四角形の
建物が付いていて、不思議な空間を演出しています。洋式だけど、中国的な
匂いもして・・・。

さらに元山形県庁も、1916年築のおごそかな建物。現在は文翔館と呼ばれ、
こちらも郷土資料館になっています。

内部も素敵です。

こんな立派な建物が多くあるのに、子供の頃は一度も連れてきてもらって
なかったのでした。覚えているのは大沼デパート(閉店してしまった)、
そして本を買ってもらうのが楽しみだった八文字屋(こちらはあった)。

山形の歌人といえば、茂吉が余りにも有名だけれど、私は中学校の校歌の
作詞者だった、結城哀草果を思い出します。

 うれひつつ弱き蚕を拾ふ目にあなさびしもよ秋の夜の雨
                  結城哀草果『山麓』

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