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カテゴリー "鈴木晴香"

こんにちは。鈴木晴香です。

見て見て、月が綺麗だから。
なんだか妙に、こんなに妖艶に美しく見えるのは、
私の感受性が研ぎ澄まされてきたからだな、
と思っていたら、明日は中秋の名月ということで、
きれいなのは当たり前でした。

だからと言ってスマホで月の写真を撮ったところで
真っ暗な画面に1円硬貨のような円があらわれるだけなので、
今回はアンリ・ルソーの絵画「眠るジプシー女」のマグネットの写真を。

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昨年ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行った時のお土産です。
ライオン、ジプシー女、マンドリン、壺、枕という奇妙な取り合わせの物たちと
それらを抱く砂漠を、
それこそマグネットのように貼り付けられた月が、明るく照らしています。

もしかしたら明日の夜、
どこか遠くの砂漠で、
あるいは心の奥深くにある砂漠で、
このような月が見られるのかもしれない、と思ってしまうような風景です。

こんにちは。鈴木晴香です。

先日の台風21号では、関西地方を中心に大きな被害がありました。
未だに不自由な生活を強いられている方もいらっしゃると思います。
心よりお見舞い申し上げます。

台風が去った翌朝、根元から折れてしまった木々を見たときには、
その風の威力に、改めて恐れを抱きました。
あれから2週間以上が経ち、倒木や枝葉も次第に片付けられているのですが、
そこで間近に見ることになったのが年輪。
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長くそこに立っていた歳月を思うと痛々しく、辛い気持ちです。

こんばんは。鈴木晴香です。

梅雨ということで、傘を買いました。

傘

日本では、雨の日も、夏の陽射しの強い日も傘を差しますが、
フランスでは、雨でも、夏の晴れた日でも、
人々はあまり傘を差しません。
だから、丈夫で軽くて美しくて、しかも安価な傘を探すのは、
とても大変な作業になります。

その点、日本では、雑貨屋さんでもデパートでも可愛い傘はすぐ見つかるし、
なにより、コンビニエンスストアで、ビニール傘を簡単に手に入れることができます。
これは奇跡のようなこと。

手がかりはくたびれ具合だけだったビニール傘のひとつに触れる

木下龍也『つむじ風、ここにあります』

こんな便利なビニール傘ですが、個を失った孤独とか、当事者意識のなさとか、そういった哀愁がつきまといがちです。

私が今回買ったのは、ビニール傘はビニール傘でも、花の咲いたもの。くたびれ具合以外に、手がかりが欲しかったのです。

こんばんは。鈴木晴香です。

昨日、大阪北部で震度6弱の地震がありました。

被害に遭われたみなさまに、心よりお見舞いを申し上げます。

私の家も、大きく揺れて、本棚が倒れました。怪我はなかったのが幸いですが、こういう時は、どうしたらいいのかパニックになってしまうのですね。なぜかずっと『寺山修司青春歌集』を握りしめていました。

今日は、大阪、京都の街は落ち着きを取り戻していましたが、屋根や塀に青いビニールシートがかけられている家も多くあり、その青がとても痛々しく見えました。

コンビニエンスストアも、いつもとは少し違っています。入り口のいちばん目立つところに、必要不可欠なものが並んでいました。

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余震に十分お気をつけてお過ごしください。

 

 

こんにちは。鈴木晴香です。

短歌を作り始める前から、そして今もたびたび、寺山修司の短歌を読み返しています。

しかし、寺山が中学生・高校生の頃に作っていたという俳句をまだ読んだことがなく、どのような作品だったのだろうと興味を抱いて、このような本を買いました。

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『寺山修司コレクション1 全歌集全句集』(思潮社)1992
インターネットの古書店で見つけたものです。

寺山は同じテーマを短歌や演劇、映画とジャンルを超えて繰り返し表現していますが、俳句にも見たことのあるシーンが出てきてどきっとします。

枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや

この俳句は、歌集『田園に死す』の短歌を想起させます。

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

「柱時計」は「われ」だったのか。
そう思うと、この短歌に漂う不穏さがより一層濃くなるようです。

お久しぶりです。鈴木晴香です。
桜も満開ですね。

今日は、大阪の枚方にある蔦屋書店に行ってきました。
吹き抜けの書棚に目を奪われます。

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書店といっても、ここはHIRAKATA T-SITEという複合施設。
本はもちろん、レストランや、アクセサリー、雑貨など、たくさんのものが揃っていて、ビル全体が本を中心にした一つの街のようです。

中でも「子どもと学び」というフロアが素敵。
絵本や、なぞなぞの本、親御さん向けの育児本などが書棚いっぱいに詰まっていて、
そこにいる子どもたちはまるで、おもちゃと戯れるように本を開いてはしゃいでいるのでした。

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寝っ転がりながら本を読める、秘密基地のようなところもあります。

こんな風に、子供の頃から本と楽しく触れ合う時間を過ごしたら、
きっと、本屋さんに通う大人になるだろうなあと思って嬉しくなります。
私にはこういうところなかった、とちょっと悔しい気持ちです。

新年あけましておめでとうございます。
皆さまにとって、素晴らしい一年になりますように。

今回からブログ担当のひとりに加わりました鈴木晴香です。
どうぞ宜しくお願いします。

さて、私は新年を東京で迎えました。
東京といえば、『短歌研究』1月号で「平成大東京競詠短歌」という特集が組まれています。85年振りに復活したというこの企画、23人の歌人が各々縁のある区を詠っています。
それぞれの区の個性とそれぞれの歌人の個性が混ざり合って、渦まくような〈大東京〉を作り上げていると思いました。

〈大東京〉の中でも、私はどちらかというと下町のほうを守備範囲としています。
というわけで今日は、台東区西浅草の等光寺を訪ねました。
ここには石川啄木の歌碑があります。

Snapseed (2)

浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心

群衆の中にあっても孤独であるということ、群衆の中にいるほうが、より一層孤独であるということ。
世界中の孤独を集めたような、深いさびしさの共感があるように思います。

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歌碑の解説によると、ここ等光寺は石川啄木の友人であった歌人・国文学者の土岐善麿の生家で、その縁で啄木の葬儀、一周忌追悼会が行われたということです。

ところで、冒頭の「平成大東京競詠短歌」では、福島泰樹さんが台東区を詠っています。

台東区むかし下谷區浅草區「花」と「女」の合併あわれ
消えていったは彼(あれ)は菖蒲か浅草の 月光町とう韻(ひびき)かなしも

啄木が歌った東京は、「むかし」の、「消えて」ゆく前の浅草でした。

Snapseed (1)
一方、今日の浅草。
孤独を感じる余裕もないくらいの、初詣の混雑です。

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