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カテゴリー "真中朋久"

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なにかと嫌われるカラスだが、見ていると面白い。

電線にとまらんとする一瞬を鴉の鋭き趾のひろがる/高安国世『光の春』

足の指=趾と嘴を上手に使っていろんなことをする。
ゴミの袋をくいやぶったり、食べ物を石の間に隠したり。

けっこう爪は鋭いからあれで掴まれたら痛いのだろう。
最近の歌集では、こんな作品があった(《》は傍点)。

わが頭を一瞬《がし》と掴みたる鴉のをりし図書館の森/村上和子『しろがね』
嘴太鴉(はしぶと)の爪が残せる感触の痛みに変はる家へ着くころ
あたまより鴉飛び立つ反動をわれの頸部は長く記憶す

えらい災難でした。
鳥の中では、それなりに重さもあるから「反動」もけっこうしっかりしたものだったに違いない。
 
なぜそんなことになったのか。
作者に思い当たることがないならば、カラスの側のひとちがい。
カラスの巣に悪さをしようとした人間を覚えていて、仕返しをするらしい。
あるいは、知らずにカラスの巣に近づきすぎてしまったり、という場合もあるのだとか。

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巣作りの春となりたり青き枝咋(く)ひもちて鴉の飛びゆく見れば/田附昭二『風の尾』

巣づくりの季節。
これからしばらく、カラスもいくらか神経質になる……と思っておいたほうがよさそうだ。
この写真を撮っていたら、うしろから頭上すれすれをもう一羽がかすめて行ったのでした。
これ以上しつこく写真を撮るなら、がしっとやるぞ!という威嚇なのでしょう。

くわばらくわばら。

繁殖期が一段落して、親離れしたカラスが飛び回るようになると、これは観察する上ではちょっと面白い。若いうちは、警戒心よりも好奇心のほうが強いから、人間との距離が近くなっても構えないのだ。

さて、
永田和宏歌集『午後の庭』にもカラスの歌があるのですが「言つてはいけない知られてもいけない」だから紹介しないでおきます。

大阪・梅田エリアもずいぶん変わった。
もう何十年も、どこかが工事しているという感じで、いっこうに落ち着かないが、この作品は1950年代。

OSAKA STATIONのネオンがまるい肩をうき上らせる まぶしさに寄添いながら/宮崎信義『交差路』

戦中に(未完成のまま)営業を開始した3代目の駅舎は、南側の正面から見て凸型。中央に時計、右肩の部分に「OSAKA STATION」とシンプルでまるみを帯びた書式で、なかなかスタイリッシュなものだったようだ。
4代目というか5代目というか、高層ビルをばんばん建てた今の姿しか私は知らないが、これはもはや駅だかなんだかわからない。

駅の北側も、高層ビルが林立するようになってきて、さらに再開発が進行中。新大阪から大阪駅を通らず和歌山方面に向かう線路は地下化するのだという。
この線路は貨物ヤードだったところの西端を通っていて、もともとは貨物用の支線。安治川口の貨物駅に出入りする貨物列車が今でも一日に5往復ほど設定されている。

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地下化されれば西梅田のこの踏切もなくなることになる。
間近に貨物列車を見ることのできる場所の一つであるのだが、交通の障害であるし、鉄道側にとっても踏切というのは難所の一つなのだから、仕方がない。
この近くにもうひとつある環状線・福島駅下の踏切は、高架線への傾斜の途中にあって、無くすことができないらしい。既に多くの道路が交錯する中の線路であるので、なかなか難しい。
 
このあたり、昭和初期まで堂島川、道頓堀川から水路が入って、貨物ヤードの中に船だまりがあったことが古い地図で確認できる。
鉄道貨物は、小船に乗せ換えて市中の倉庫や店、工場に運ばれていったのだった。

さらに古い時代。地名「梅田」=「埋田」というのはよく知られているが、江戸時代には墓地としても知られていたらしい。
貨物ヤード跡地の再開発にあたって発掘したところ、たくさんの墓石や人骨、副葬品がでてきたという。

http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000413269.html

まさに、このあたり。

貨物列車を興味をもって眺めるようになったことの、もうひとつは、毎朝の通勤電車の車窓から、しばしば目撃するこの列車。

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直流電化の東海道本線で、あまり見ることのない交直流電気機関車(といっても10本に1本ぐらいはあるのだが)。交直流ということは、交流区間から来るはず……と、調べてみると前夜遅くに新潟を出発する便であることがわかる。

新潟から大阪への便といえば、福井県在住の上田さんにはこんな作品があった。

山峡の夜更けの駅を長き音引きずりてゆく貨物列車は/上田善朗『紅映』

この時間に到着する便の敦賀・福井通過は午前4時台なので「夜更け」というよりも明け方に近いが、北海道・東北の日本海側・北陸方面 と 名古屋・関西・中国地方を結ぶ列車はたくさんある。

この冬、日本海側の地方は大雪で、こういった列車はしばしば遅延、運休になり、数日遅れで雪まみれで到着したりするものも多い。

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そんななかで、今朝到着する便は、定刻で吹田-大阪貨物ターミナルの貨物支線を通過していった。
当方も、駅まで小走りになりながら、阪急京都線のいつもの通勤電車に間に合った。

通勤電車も貨物列車も、それぞれ定刻ならば、この場所で出会う。秒単位の定刻ダイヤでそれぞれ運行されているということだ。

真面目すぎるぞ とも ごくろうさま とも思いながら。

貨物列車とか貨車の名歌といえば、まず思い出すのがこのあたり。

連結(れんけつ)をはなれし貨車(くわしや)がやすやすと走りつつ行く線路の上を/佐藤佐太郎『歩道』

昔は、貨物駅といえば操車場という感じで、駅で貨物車に積み込んだり、荷主側が仕立てた貨車を引き入れて、それを連結して列車に仕立てび、途中駅で切り離したり連結しなおしたりしながらそれぞれの貨車を目的地に送るということをしていた。そんなふうに連結したり切り離したり車輛を操る操車場。
連結を効率的に行うために、連結を開放した貨車は突き放して惰行させ転轍機で連結すべき列車のはるほうに誘導して連結した。ちゃんと目的の列車まで到達するようにゆるい坂を下るようにしているところもある。傾斜があれば、なお「やすやすと」ゆく。
傾斜をつくための丘のことを坂阜(または阪阜 はんぷ=hump)と呼ぶ。

坂阜線くだる散転貨車の上日にさらされし熱気が打ちぬ/御供平佶『河岸段丘』

スピードが出過ぎても困るので人がブレーキをかける。貨車につかまってブレーキを操作する危険な作業だ。
作者の御供さんは鉄道警察官のキャリアが知られているが、若いころには操車場にいたこともあるらしい。
 
時代がかわって、鉄道貨物のほとんどはコンテナ。貨車を連結するのではなくコンテナを積み込むことで列車を仕立てればよい。連結したり解放したりするのも2両とか4両の単位。これだけのものになると重量も相当だから突き放したりしたら危なくてしょうがない。

コンテナ台車には「突放禁止」と書いてある。
連結して列車を仕立てるのは入替用機関車。押したり引いたりしながら列車を仕立て、列車を分割して荷役線に送り込んだりする。
 
もはや佐太郎の作品のように「やすやすと走りつつ行く」のを見ることは、ほとんどない。

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もうひとつ佐太郎の作品。
これも名歌。

連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音/佐藤佐太郎『帰潮』

 
列車に本線用機関車(本務機)が連結するとき、入替用機関車が列車を仕立てるために数両のコンテナ台車とコンテナ台車をつなぐとき、連結の音に耳を澄ませるのだが、そんなにはっきりと「つぎつぎに」ということはない。
昔に比べれば連結装置の性能も違うし、突放して速度をもったまま連結することもない。連結直前でいったん停止して、おもむろに連結するから後方の車両にまで伝わる衝撃にならないのだろう。

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いま、貨物ターミナルで響いているのはフォークリフトがバックするときの警告音。
列車の入替が行われているときには、からんころんとチャイムが鳴っていたりする。

写真は大阪貨物ターミナル(鳥飼)。わが家の近所。

それほど熱中したことはないのだが、鉄道はわりあい好き。
「塔」では1年ほど「鉄道の歌」の連載コラムを書いたことがある。
 
鉄道趣味にもいろいろあるが、これを「詠みテツ」とか「読みテツ」という。
 
ここ数年、東京と大阪の間を往復しているのだが、早朝や深夜の東海道本線の駅で電車を待っていると、ほとんど数分おきに貨物列車が通過するようなことがある。昼間も20分とか30分に1本は貨物列車が来て、それも時刻が一定しているということがわかってくる。
そうすると、これはどこから来てどこまで行くのかが気になってきたりして、調べてみれば「貨物時刻表」なるものもあって、それを参照すると、北海道から来る便であったり、鹿児島へ向かう便であったり、そういうことがわかると、ずいぶんの距離を「ごくろうさま」という気分になるものだ。
ときどき寄り道をしたり、家の近所の貨物ターミナルを覗いてみたりする。

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操車場夜の高き燈に照らされて白き煙のちぎれちぎれに飛ぶ/高安国世『虚像の鳩』

多くの貨物列車は、深夜に出発して早朝に到着する。
だから、昔も今も貨物駅は夜に忙しい。鉄塔の上の照明が皎々と照らしている。

昔と今の違うのは、蒸気機関車の煙が無いこと。
本線はほぼ電気機関車。
入替作業にディーゼル機関車が活躍するところも多いが、写真の大阪・百済貨物ターミナルは本線を牽引してきた電気機関車が直接入替作業まで行うところ。最新式の貨物駅だそうだ。

電気機関車が奥まで入るということは、架線が奥まで張ってあるということ。
そうすると、フォークリフトでコンテナを積み下ろしたりするときに危なくてしょうがないが、荷役中は架線に電気を通さないようにするのだとか。

天候不順であったり、さらに大寒波であったりして野菜の値段が高い。
そういうわけで、もやしとか豆苗の類(値段が安定している)に依存する。
 
その豆苗。

豆苗の切りとりしあとに水やれば新芽伸びくる皿の中にて/安川美子『ダリア買う』

ということが知られているので、やってみる。
大阪の家のほうは、人口密度がそこそこあるので部屋が温かい。
それなりに伸びて収穫をしたのだが、東京の一人の部屋は寒いので、なかなか。
丈が短いままで、どうしたものかと思うが、それでもつまんで味噌汁に散らしたりする。

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大阪の家のほう。
二次収穫を終えて、三次収穫ができるかどうか。
ちょっと不揃いなのは、まだ余力のある豆とそうでないものの個体差なのか。

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それにしてもひょろひょろと、

卓上の水栽培の豆苗が明かり窓へと傾(なだ)れていたり/柳詰美代子『校庭』

いわき市で開かれている常磐歌会に行ってきました。
不定期に、今のところ年に2回ほど。
茨城県北部~福島県浜通り在住の方を中心に、といっても福島県内はもとより、かなり遠いところから参加する人もいて、充実した歌会です。
 
不定期なので告知は載せていませんが、参加したいという人は、私または小林真代さんに声をかけてください。

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2005年の全国大会(宮城・松島)のときには、常磐線に乗って来たうちの子どもたちと仙台で合流したりしたのだが、東日本大震災と原発の事故で常磐線は不通。これまでは広野駅までの運行だったが、今回は富岡までの表示が出ていた。
原発事故終息というにはまだまだだが、少しづつ、いろいろと回復しているのだ。
 
歌会までの時間が少しあったので街中散策。
古い商家を再生したお洒落な店があったり、空を見上げている像があったり。

柿の落葉は美しい。
これはかなり赤くなっているが、緑色がわずかに残るようなときの色あいは、さらに格別なものがある。

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柿落葉が美しいと気付かせてくれたのは齋藤茂吉の作品。

柿落葉(かきおちば)色うつくしく散りしきぬ出島人(でじまびと)等も來て愛でけむか/齋藤茂吉『つゆじも』
よの常のことといふともつゆじもに濡れて深々し柿の落葉は/同『小園』

何首かあるが、たとえば『つゆじも』の長崎時代の作品。
そしてまた昭和20年の秋、疎開先で迎えた敗戦後の日本の「よの常のこと」を見つめる日々。

永田さんにも柿落葉の歌はあるが、どちかといえば落ちてないほう。

柿紅葉の向こうに烏が我を見る尋章摘句老彫蟲(うたつくるうちにこんなにおいて)/永田和宏『日和』

李賀の詩をネタにした作品。超訳ルビで跳ぶ。

最近は、だいたいの人は携帯電話を持っていて、使われることの少なくなった公衆電話。何かの必要があって、「さて公衆電話は?」と思うと、なかなか見つからなかったりする。

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公衆電話はもうすこし古くからあるが「電話ボックス」というものができたのは1950年代。今のようなガラス張りではなくて、なんといったらいいのだろう。大きさは似たようなものだが、窓のついた箱型の。
その、わりあい早い時期の例はこういう作品。1954年の歌集。

夕さればやさしくベルの鳴らさるる電話ボックスはあかしやの蔭/中城ふみ子『乳房喪失』

昔は、電話ボックスの中に書いてある番号が、そのまま電話番号で、電話ボックスに電話をかけるということも難しくはなかったらしい。
その後の時代も、何らかの方法で電話ボックスに電話をかけるというような話はあった。犯罪がらみで「どこそこの電話ボックスで指示を待て」とか、ふたつの公衆電話の受話器をつなぐようなトリックなど〈探偵もの〉でよく使われたりもした。
とはいえ、誰もいない電話ボックスで、電話が鳴ったらびっくりする。「あかしやの蔭」とあるが、なにか「あやかし」が出てきそうだ。

仕事終へし眼上ぐれば部屋隅の電話ボックス灯りてゐぬ/古賀泰子『溝河の四季』
ペンキ剥げし電話ボックス出でしより憑かれし如く街を行きゆく/西岡敦子「沈める鍵」(塔作品集Ⅱ)

これらの作品も1950年代の前半。
古賀作品は「ボックス」というが、これはちょっと違うものだろう。
学校の職員室に置かれた公衆電話。
西岡作品は、この段階でペンキが剥げているということに、ちょっと驚く。できてまだ数年だが、本体の材質とかペンキとか、そのくらいのものだったのか。

街筋に流るる霧は二十メートル先の電話ボックスの灯も隠しゆく/高安国世『北極飛行』

1960年の歌集。
これも「電話ボックス」が出て来る作品としては早いが、日本のことではない。在外研究で滞在したドイツの町角のこと。

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去年の 12月号「八角堂便り」 に零余子のことを書いた。
今年もそういう時期になって、零余子がないかと見ているのだが、これがさっぱりなのだ。

杉おおう蔓引っぱると天罰のごとくムカゴがはらはらと降る/池本一郎『藁の章』

去年はもう、ちょっと触っただけでぽろぽろとこぼれてくるようなものを、つまんでつまんで、落とさないようにポケットに入れていた。

それがなぜ。
天罰か?
去年、採りすぎてしまったのか。
種ではなくて芋があれば蔓はのびるはずだから、そういうことではないだろう。

生り年・不生り年というのがあるものか。

私の嘆きが聞こえたのかどうか。
ある方が、零余子を送ってくださった。

それで今年も、なんとか零余子を味わうことができた。

曇り日の人に会わざりし暮れ方にふっくり匂うむかご飯炊く/古賀泰子『木造わが家』

ふっくり匂うむかご飯。むかごごはん。

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