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カテゴリー "岡部史"

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万葉集には「武奈伎」と表記されていたらしいですが、その頃から日本人は
鰻を食べていたようです。ここ数年、漁獲量が急減し、もはや絶滅危惧種・・・。
我が家の近くにも鰻料理の老舗があり、家族の冠婚葬祭などの折に愛用
していたのですが、七年ほど前に閉店してしまいました。仕入れがうまくいかず、
お店を続けられなくなったとのこと。上記の写真は、昨年、柴又に出かけたときに
食べたうな重です。もう、最後かも、とかみしめて味わいましたが(また食べるかも)。

鰻好きの歌人と言えば、断然斎藤茂吉ですね。

  これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがよふらむか
                  齋藤茂吉『小園』

関西では「まむし」と呼んでいるのだそうですね(違う食べ物みたいだ)。

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目黒駅から権之助坂を降りて、山手通りと交錯する角近くが金毘羅坂の坂下。
その少し先に、その名も面妖な「公益財団法人 目黒寄生虫館」があります。
基本財産と寄付により運営されている私立博物館、ということで、こじんまりと
はしていますが、内容的にはとても充実していて・・・。

最初はうえ~っつ、と心の中で退きながら、目は引き寄せられていく感じ。
たとえば、こんな、人間の体内から採取された、ミミズ状の虫とか。
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他に、人間の身ではなく、動物に巣食う寄生虫も沢山展示されていました。
サナダ虫が圧巻だったんだけれど、長すぎてでしょうか、エラーになってしまって
写真がここにアップできません。作品で感じて下さい。

  冬晴れの金毘羅坂に空き地ありそのさき目黒寄生虫館
  さなだ虫やわらやわらに畳まれて標本壜に収まるあわれ
                 吉川宏志『夜光』 

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二年ほど前に訪れた、ベトナム中部の都市フエ。阮王朝の都として栄えた町です。
写真にある王宮は、ベトナム戦争でかなり破壊されましたが、修復が進み、近年は
観光客で賑わうようになりました。ベトナム戦争時、十代だった私は、やはり
ベトナムというとあの悲惨な戦争のことを真っ先に思い出してしまうのですが。

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市場は活気に溢れ、特に農産物が信じられないほど豊富。市場の担い手は断然女性たち。
戦後の復興が速やかに進んだのも、勤勉なベトナム女性の存在あったればこそ。

  過去形も未来形もなき越南(ベトナム)語今日を生きつつ女たくまし
                        谷岡亜紀『闇市』

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今日から大相撲夏場所が始まりますね。場所は両国国技館。両国はまさにお相撲一色の地区で、
駅の改札脇にはこのような、お相撲の像が皆様を待ち構えています。みんなどこを撫でるか一目瞭然。
近くにはお相撲の部屋もいくつかあって、早速陸奥部屋をみつけました。

お相撲というと、2010年11月に十両に昇格して俄然注目されるようになった高安。
しこ名は本名ということもあって、「塔」では創始者高安國世との縁が取りざたされるようになり、
歌に詠まれる方も多いのです。

  高安先生と何の関係なけれどもやはり応援力士高安
                      上柳盈子「塔 2017年10月号」

今場所は体調不良により、休場ということで残念ですが。
両国は駅構内から、お相撲に関する展示も多く、例えばこんなコーナーもあります。
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近くに来られた折は、足を延ばしてみて下さい。ちなみに、東京歌会、東京平日歌会などが
開かれている中央区産業会館からも、一駅のところです。

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冬は木木も葉を落としているので、野鳥を見るのに良い季節ですね。
我が家の近くの公園には、尾長が群れを成してやってくる様も見られ、
写真に写したいと思うのですが、なかなかうまくいかず。
庭にはコガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、キジバト、ツグミなど
次々にやってくるのですが、あまりに狭い庭なので、カメラなど
向けようものなら、あっという間に飛び立たれてしまいます。

写真は昨年堺に行ったときに、海辺近くを散策していて撮影したもの。
手前はカルガモのようですが、奥はクロガモでしょうか?
冬は靴下も靴も履いていない足が、冷たくないのかなあ、などと
よけいなことを考えていました。

  雌鴨の漁る水脈がゆっくりと冬の川面を渡りてゆけり
              永田淳『湖をさがす』

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写真は東南アジアの、とある国の蓮池ですが、こういうところ、
蛙が沢山生息していそうですね。
昨年11月29日の朝日新聞夕刊の「ウシガエルの輸入」という記事には、
驚きました。ちょうど百年前の1918年、日本は農村の貧困対策として
食料用にウシガエルを輸入、養殖事業を推進するも、需要が伸びず根付かずじまい。
ところが、終戦直後の食糧難のため米国から大量の米、小麦を輸入せざるを
得なくなった時、見返り物資として目をつけられたのがこのウシガエルだったとか。
輸出は増え続け、1950年には700トン。水産物としてはビンナガマグロ、メカジキ
に次ぐ輸出量で、まさにドル稼ぎのホープとなり、日本の窮地を救った・・・。
蛙の力、凄かったんですね。

しかし最盛期の69年、輸出された冷凍肉から農薬が検出されて、禁輸措置が取られ、
以後、輸出は激減、再び日の目を見ることはなく今日に至っている、という。
ウシガエルの肉、そういえば、アメリカのスーパーではよく売られていました。
私は、中国の上海で、食べたこともあります。立派な海鮮料理店で、おもてなしを
受けたときだったので、驚愕したけれど、断れず(涙)。でも、鶏肉に
よく似た淡白な味で、言われてなければ、蛙肉とは気づかなかったかも・・・。

  垂仁のみささぎの池になにやつか食用蛙を釣りて釣りおとす
                      坪野哲久『北の人』
日本では戦後、食用に蛙を釣る人が結構いたらしいことは、周達生『カエルを釣る、
カエルを食べる』(平凡社)などでもうかがえますが・・・。
次に、台湾の市場で見かけた食用ガエルの写真を。ちょっとショッキングかも。
気の弱い方は、ここで、このページを閉じてくださいますように。

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江戸川の西側が葛飾区柴又。映画、寅さんシリーズで脚光を浴びることに
なった町です。中心に位置する帝釈天には、訪れる人が引きも切らず。

参道を歩くと、ありました、ありました。寅さんのおいちゃんが草団子を
売っていたお店。今は隣が小さな食堂になっています。
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お団子を買って、京成金町線の柴又駅へ。駅前には寅さんの像が
立っているのですが、その後、妹のさくらの像も追加されたとのこと。
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何処かの女性がしげしげと見てますが・・・。

  駅頭に兄を見送る像のあり葛飾柴又はや夏の雲
                    谷口公一「塔」2017年9月号

そう、この像は前に立つ寅さんの像を見送っているのです。
どこに行くときの寅さんだったのでしょう。

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写真は東京の東部を流れる江戸川。川向うは千葉県松戸市です。
東京の南西端に住む私にはとても遠いところで、昨秋、初めて
近くを散策してきました。思っていたより小さな川ですが、当日、
水量は豊かでした。今は江戸川大橋を始め、橋は沢山架けられていますが、
かつては渡し船が重要な交通手段だったようです。演歌で有名な、
矢切の渡しですね。
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今はこんな感じ。観光用に細々と営業されています。かつては
(演歌に知るまでもなく)川を渡ることは、大変なことだったでしょう。

  江戸川を越えれば松戸トンネルの灯があかあかと、帰り着きたり
                   小林幸子『水上の往還』

この作品は2011年3月11日の、東北大震災の日の、体験から詠まれたもの。
現代にあっても、非常時には、川を渡り終えるまで、不安と緊張が
並々ならぬものであったことが伝わります。

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アメリカに滞在していた時、中東マーケットで購入した

お菓子を作るための木型で、タビと呼ばれているものです。

後方の本はやはり滞米時に購入した中東料理の本ですが、そこに

使い方が出ています。ナツメヤシで作った餡を包んで、型抜きして

作るこのお菓子は、アラビア語で、マアームル(Ma’amul)と

呼ばれています。中東のお菓子は甘くて美味です。男の人たちも

お酒が飲めないため、お菓子が大好きだから、かな。

歌人の宮英子さんはご実家が和菓子店だったらしくて、独特の

用具名を詠み込んでおられますね。

筕篖(あんぺら)の砂糖叺(かます)を置き並(な)めし

母屋につづく和菓子仕事場       宮英子『青銀色』

 

あんぺらとは、藺草で編んだむしろのことらしいです。

どんなふうに使ったんでしょう。

 

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夏目漱石が甘党だったことは良く知られていますが、なんと没後百年にして
未公開だった著作が、発行されたようです!? その名も「漱石羊羹」。
って、驚いてしまうところですが、こちらは漱石文庫のある東北大学図書館と
仙台の和菓子の老舗「白松がモナカ本舗」が共同で製作、限定3000個発売の
羊羹そのものなんでした。開けてみると、こんな風に、

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二本の羊羹が収まっていて、紅茶味、そして漱石が好物だった落花生味。
仙台在住の、大学の先輩が送ってくれたものです。お味も、もちろん、
美味しかったけれど。落花生が好きで、結局命を縮めることになってしまった
漱石を思うと、ちょっと複雑な気持ちでした。

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