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カテゴリー "岡部史"

わが家の近くの公園では、休日になると父さんたちが子どもとサッカーやテニスに興じている様子が見られる。

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その公園に続く道で、最近自転車に乗れるようになったらしい女の子に、後ろから注意を与えながら歩く父親らしい姿が。思わず、シャッターを切ってしまいました。それにしても、子供用自転車で練習できるなんて羨ましい。私が子供の頃は、大きないかつい大人用自転車しかなく(ママチャリですらなく)、いわゆる三角乗り(死語ですな)で必死で練習したのに。

 

下じゃない前を見ろまえをみろ父親が子の自転車をささえて走る
垣野俊一郎「塔2019年10月号」

三か月ほど前、家の前の道路の真ん中に、かみきり虫を
みつけました。変に傾いたまま落ちている、って感じで。

もう亡くなっているのかな、車に轢かれたらかわいそう、と
玄関わきの植え込みに運んでやると、レンギョウの葉に、
傾きながらも、足を動かして、つかまるではありませんか。
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ああ、生きていたんだな、とほっとして、写真を撮ることに。
ゴマダラカミキリ、ですね。ほんと、黒白の斑が美しい。
と、見ていると、いきなりぱっと、翅を広げて飛び立ちました。
宙におかしな弧を描きながら、離れていきました。
やっぱ、どこか体を痛めていたんではないかな・・・・。

  飛ぶ前に翅をおおきくひろげたり櫟の幹のかみきり虫は
                永田愛『アイのオト』
今回の題は、真中さんのシリーズ(?)をまねてみました。

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東京都練馬区にあるちひろ美術館は、岩崎ちひろの自宅兼アトリエが
そのまま利用されて創設されたもの。住宅街にあり、広くはないのですが、
ほぼ二カ月ごとにテーマを替えて企画展が行われています。

今春、私が出かけたときは、「ちひろのキッズファッション」。
ちひろは、絵本画家として知られるようになる以前には、
子供服のデザイナーとして活躍していた時期があり、
数々の婦人雑誌などに、デザイン画が残されていました。

この企画展では、彼女のデザイン画をもとに、服飾を学ぶ学生らが
仕立てた子供服も多く展示されていました。企画室内の撮影は禁止、
とのことなので、中庭を挟んだカフェの窓から写した写真を。
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ちひろの絵本の中の子供たちが、まだその辺を飛び回っているような
雰囲気で、しばらく贅沢な時間に浸りました。

 絵本原画展に少女いざなう絵となりて静かに壁にかかっていたい
                     山下泉『光の引用』

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九月中旬頃、自宅からすぐ近くの自然公園の中で撮影したもの。
自然のまま残されているので「公園」ではなく「××山」と呼ばれてます
訪れる友人は「武蔵野の雰囲気、残っているね!」と感激するけど、
実は「残っている」のではなく「残している」のです。自治体と、
自治会で「手を加えない」という条件で地主から借りているから。

九月になると、まるで「曼殊沙華の苑」と呼びたいくらい、大量に
咲きます。歌に詠みたいけれど、けっこう難しい。何しろわれらが
主宰にはこんな名歌も詠まれているし。

 風を浴びきりきり舞いの曼殊沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
                     吉川宏志『青蝉』

異名が沢山ありますね。その名称が活かされている歌も。
  
 何か埋まる印のごとく彼岸花四五本ほどが道の端に揺る
                小林信也『合成風速』

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先日、朝起きて自分の部屋の掃き出し窓を開けようとして、
思わず、ぎゃっと声が出てしまいました。敷居の上に
ヤモリがいたからです。しかも、外側でなく内側に。

ということは、家の中に入っていた、ということでしょうか。
ヤモリは、「家守」でもあり、害をもたらすものではないとは
知っていますが。なにしろ、爬虫類に弱くて・・。
ここで動き回られたら、パニックになるところでしたが。
びくともしないので、少し落ち着き。箒の先で、そっと外へ導きだしました。

が、テラスの下でじっとしているので、写真を撮ることに。
どうも、かなり弱っていたみたいです。家から出てもらうのは、
夜にすべきだったかな、と少し後悔しました。
30分後くらいに見てみると、どこかへ消えていましたが。
どうか、ご無事ですように。

 窓一枚あたりに二~三が張りつける家守というはなま身を張れる
 くらき側に張りつく家守の足うらの花弁ひらける雪花のごとく
                なみの亜子『ばんどり』

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昨年6月、東京西部にある多摩森林科学園を訪ねた折り。
その日はどんよりと曇っていて、開園と同時に入ったのは
私と友人の二人のみ。受付の人がにこやかに、
「今なら、モリアオガエルの卵、見られますよ」
と、教えてくれました。言われた通り、建物の裏手にある、
小さな池の脇の茂みに目を凝らすと・・。

先に見つけたのは、森林歩きが趣味の私の友人。
「ほら、あそこ!」と指さすのだけれど、私はなかなか
それらしきものを捉えられず。というのも、思っていたより
ずっと高い枝の上に、あったから。池の水面から、3mちかく。
孵化した後は、雨の力で、水面にたどり着く、らしい。
う~ん、確かに、枝はわずかながら池側に張り出している。

不思議な命の営みに、なにかとても厳粛な気持ちになりました。

 ゆるゆると鳰照る月見坂のぼりモリアオガエルの卵に出会う
           白石瑞紀『みづのゆくへと緩慢な火』

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港区六本木に立つ、高層ビル六本木ヒルズ。
蜘蛛の形のオブジェの下から見上げるように撮影しました。
最上階の52階付近は、時折靄がかかって、地上からは
見えないこともあるのですが、撮影の時は幸い日が差して
薄い青空のもと、まあまあの写真が捕れました。

高速エレベータで52階へ。ここには森アーツセンターの
ギャラリーがあって、当日は「ムーミン展」が開催されていたからです。
大好きなムーミンの挿絵の数々を堪能した後、ガラス越しに東京の
街並みを見下ろしました。

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ビルの北側からの展望です。
向かって左手に見えるのは、斎藤茂吉も眠る青山墓地。
こうしてみると、東京の街は意外に高層ビルが少ないのですよね。
そして、こんな都心に大きな墓地が残っているということにも
驚かされてしまいます。夜ここから見ると、墓地近辺は真っ暗、のはず。
生者は誰も住んでいないのですから。

 明るいだけ、あるいは暗いだけの世界隣り合ひつつ都市の闌(た)けゆく
                   栗木京子『けむり水晶』

十数年前、奄美大島を訪れた折、黒糖焼酎の製造工場も見学。
そこで見つけた、ある商品のラベルに目を引き付けられました。
古いお札が利用されていたから。これは沖縄、奄美群島が米軍
占領下におかれていた1945-1958年9月まで唯一の通貨だった
米軍発行による軍票で、俗にB円と呼ばれていたお札でした。
軍票といえば、松本清張の小説で有名になった「西郷札」が
思い出されるところですが・・・。

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焼酎の名前、「加那」は、この地に一時潜居を命じられていた
西郷隆盛の愛人の「愛かな」の名からつけられているらしいのです。
(「かな」は方言で、「愛しい人」という普通名詞でもあるそうな)
二人の間に生まれた子は後の京都市長・西郷菊次郎。

この焼酎は、ほとんど東京の高級バーに卸されていて、一般には
出回らないそうです。小さい一本だけ譲ってもらって、ホテルで
ちびちびと味わいました。奄美の黒糖焼酎には、ちょっとここでは
書き切れない位、複雑な歴史があって・・。でも焼酎は、いかにも
黒糖から作られているらしい、深い甘味と爽やかな口当たりでした。

 うまさけはうましともなく飲むうちに酔ひての後も口にさやけき
                  坂口謹一郎『発酵』

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横浜歌会では一年に四回、題詠を行っていて、今月のお題は「粋」。
純粋、抜粋、生粋、粋人、などの熟語が選ばれる中、次は「無粋」を
詠んだ粋な歌(ここへの掲載に際し、ご本人の了解を得ています)。

  金のなる木と無粋な名前つけられて路地に花月の花白く浮く
                       関野裕之

金のなる木は我が家でも二十年ほど鉢植えで育てていますが、
一度も咲かず。それが今年の一月、知人宅で「咲いたよ」と
はじめて見せてもらったばかりでした。それがこの写真です。
ふーん、「花月」ともいうんだ。と、出席者は一様に驚き。
まさか、「金のなる木」が本名とは、誰も思っていなかったみたい。
「フチベニベンケイ」ともいうそうです。
でも、もちろん「花月」だから成り立った歌。
ともあれ、わが家で一度も花が咲かないのは、はたして、どんな
「警告」なんだろう、などと考えてしまいました。

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今日は第三日曜日、東京歌会の日です。
最近は変わることもあるようですが、三十余年も前から
主な会場は東日本橋の産業会館。東京平日歌会、東京で行う校正作業も。
JRの浅草橋駅から少し南へ行き、大川に添って東へ数分歩くと、
隅田川の手前に柳橋があり、わたると真ん前が靖国通り。
その先、両国橋のたもとに、産業会館はあります。
このあたりは、ほんの少しながら江戸の雰囲気が残っていて、

 やなぎばし船宿六軒それぞれに木の階(きざはし)を川面に降ろす
 舫ひある綱は張りまた緩みたり水にまどろむ船に添ひつつ
                   村上和子『しろがね』

こんな風情が味わえます。産業会館は薬研堀通ともよばれる
小道に面していて、このあたりには薬研(やげん)とという
漢方薬を砕く器具の形をした堀があったことから名付けられている
らしいのですが。江戸時代は近くに遊女が沢山いて、
堕胎専門の女医も多く住んでいたことに由来するとも・・・。
あれこれと過去を思いながら歩くにも格好の地です。写真のような、
薬研不動院もありますが。この窮屈な建ちように、地価の高さが
うかがえますね。我が家からは二時間近くかかり、このところ
ずっとご無沙汰してますが、お近くの方は是非東京歌会へ!

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