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アーカイブ "2021年04月"

縦型の写真を貼るのは、以前はうまくいかなかったのだが、できるようなので貼ってみる。

わが家の鉢植えのタンポポ。
在来種系の群落が近所にあったので、そこから種をもらってきて育てている。
 
毎日見ていて気づくことがある。
そういうことは、当然知ってる人は知ってることなのだが

花を開く高さよりも、種=絮(わた)の毬は、ずっと高いところに掲げている。
考えてみれば、風の力で種を飛ばそうとすれば高いところが有利なのは当たり前のことだ。
 
花が咲いて、そのあとしばらく花茎は横に倒れて種の成熟を待つ。
種が成熟するころに、立ち上がってぐんぐん伸びる。

そうして絮を開くことになる。
 
ついでなので、クローズアップしてみる。

ひとつひとつの種の形は《棍棒》のようで、その表面は細かい皺というか襞が刻まれている。
おそらくこれ、地面に落ちたときに、少しでもそこに定着できるように、ひっかかりやすくなっているのだろう。
 
こういうものを、ここまでしげしげと見たことはなかった。

スマホのカメラで接写すると、肉眼で見過ごしていたことも、いろいろ見えてくる。
 
歌の題材になる?
 
細かすぎるといえば細かすぎるが、面白いと思ったら歌にしたらよいのだろう。
読者が面白がってくれなくてもいいのです。
 

以前にも書いたことだが、
在来種系のタンポポは自家受粉しない。
つまり、虫が花粉を運ばないと結実しない。

結実しなくても絮はできるが、弱弱しく、上の写真で見たようなしっかりした種はできない。
 
虫が来てくれると「ごくろうさん」と声をかけたくなる。
写真のこの方、おそらくヒラタアブのなかま。

虫が来なくても、人の手で花と花を引き寄せて受粉させたりすれば、そこそこの結実率になる。

今年もテレワーク/ステイホームの日々に、そんなことをやっている。

試歩のびて今日は来し草地タンポポの全円の穂絮かすか揺れ合う/田中栄『海峡の光』

さぎ山の樹々の秀の上に集う鷺ダイサギ・チュウサギ・コサギ・ゴイサギ/澤辺元一『燎火』

サギにはいろいろ。これはコサギ。

サギというと、川べりとか、水の中にじっと立って獲物を待っているものだと思っていた。
もちろん、コサギもそんな感じで、じっと水を見ていることもある。

だが、ああコサギがいる!と思って見ていると、結構忙しく歩き回っていることも少なくない。
すこし歩いて、黄色い足先(がコサギの特徴)を水の中でぷるぷるっと動かす。
またすこし歩いて、ぷるぷるっ。

泥の中を探っているようでもある。
 
詳しい人に聞くと、水底の泥を動かして、驚いて飛び出してくる虫や魚、小動物を捕まえるのだとか。

そういうのがコサギの漁法。

嘴の先で水面に波紋を起して、そこに寄ってくる魚をつかまえることもあるらしい。波紋漁法。

ゴイサギでもそういう漁法が観察されるという。

こちらはダイサギ。
足先が黄色くないことと嘴が黄色いことかがコサギとの違い(コサギは嘴が黒くて足が黄色)。
チュウサギとダイサギの区別は難しいが、目尻のあたりに違いがあるのだそうだ。
望遠で撮影して、あとで拡大しないとわからない。

チュウサギやダイサギはじっと待つ漁法。
アオサギもだいたいそんな感じ。

塒から出勤するみなさん。

この5羽はおそらく全部コサギだが、昨日の朝は、コサギ数羽とアオサギ1羽がいっしょに飛んでいた。

それから、この下は閲覧注意かもしれません。あしからず。

アオサギ。

 
大きな獲物をつかまえたはいいものの、もてあましているところ。

めざむればいたく搖れゐる電線と雀の聲とわが窓のへに/高安国世『眞實』

春のスズメはにぎやかだ。

そのへんの電柱の、枝木というか、桁というか、四角いパイプの中に出入りしているのをよく見かける。
電線と電柱、電柱と電柱で声をかけあっている。
電柱から出掛けて、しばしばペアで行動している。

そんなスズメを見て「かわいい」という印象をもつのが普通だが、近くで見るとなかなか。

だいたい、黒目がちな動物の目はかわいらしく見えるものだが、よく見るとちゃんと虹彩とか瞳孔とか。
ぎろり と睨んでくるのは猛禽類のような感じでもある。

スズメというと米粒とか草の実とかばかり食べているように思われてるところがあるが、繁殖期には動物性のものもよく食べる。

ひえびえしき日陰となれるクローバのゆたかなる中に雀下りたり/高安国世『Vorfruhling』

桜の花の蜜を(花ごとちぎって)舐めたり、春の草が生長する時期には草の芽をつまんで食べたりもする。
 
見ていると、なかなか楽しい。
(歌の題材にもなるかもしれない)

夕方です。
眠くなってきました。

おやすみなさい。

 2月半ばのことになりますが、植田今日子さんがご病気で亡くなりました。ああ、いつの間にか2か月経ったと思っていたところです。今日子さんは、上智大学の社会学の教授で、12月号に、私の歌集『ナラティブ』の書評を書いていただいたばかりでした。

 知り合ったのは、東日本大震災後。今日子さんは仙台の大学にいて、津波に遭って、住民がばらばらになってしまったわがふるさと、気仙沼市唐桑町に、社会学・民俗学の調査でいらしてました。その時のことをまとめた本が『更地の向こう側 解散する集落「宿(しゅく)」の記憶地図』(かもがわ出版)なのですが、ほんとうにいい本で(どうでしょうか……今、手に入りますか……)、ひとの語りの豊かさというものを教えていただきました。

 

 その後、私は『リアス/椿』という、震災前・震災後を詠った歌集を出したのですが、その歌集を読む会に来ていただいて、第1部として、講演いただきました。懇親会では、皆さんと飲んで。たくさんしゃべって、たくさん笑って。面白かったし、ありがたかったと思います。

 今日子さんはまだ40代で、これから、もっともっといろんなことを話したかったし、教えていただきたかった……。でも、最後の日々も、本当に前向きでした。前向きな姿を見せてくださいました。

     夢よりもはかなき世の中を、歎きわびつつ明かし暮らすほどに、
    はかなくて四月十余日になりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
                          『和泉式部日記』

 ああ、季節がめぐります。春から、夏に向っていきます。

 冬道麻子さんの第5歌集、『梅花藻』が出ました。

 難病である筋ジストロフィーによって臥せったままの生活をされながら、詠い続けてこられた月日を思います。

  吸気より呼気なす方が体力を使うとおもうかすかに違う

  片手にて持てぬ重たさ今月も「塔」の厚さの一センチ程

  しら梅を一枝手折りきし母は庭より上がる「よいしょ」とわが声

 「しら梅」の歌、好きです。この時、冬道さんとお母さんは一体化しています。冬道さんの大好きな、ずっと身の回りのお世話をしてくださっているお母さんを、冬道さんの声が、意識が支えます。そして、一緒に庭より上がるのです。

 また、お父さんへの思い、老いの問題など、長く立ち止まりながら読みました。生々しいところも詠ってあるのに、清潔で透明感があります。それは、第一歌集『遠きはばたき』から変わることなく、です。

 

仕事場の前の大島桜がそろそろ満開となってきました。
この品種は染井吉野よりも開花が一週間から10日ほど遅いようで、僕は未だに桜を楽しめてます。まぁ、枝垂れ桜とか御衣黄とかもまだこれからでしょうけどね。

大島桜はその白さが素敵。ただ、なんで大島桜は白くって、染井吉野はピンクなんだろう、と去年まで漠然と思っていました。花弁自体は染井吉野も結構白いのに、なんで?と。で、今年になって初めて謎が解けたのです!

こちら大島桜。近寄ってもやはり清楚な白さ。

こちらが染井吉野。ピンクですね。

そうなんです、染井吉野は萼が赤みを帯びてるからそう見えるんですね。
ああ、なんて漫然と花を見てたのか、と愕然としました。大島桜の萼は緑色。

こうして細かく観察してみると、詠うことってまだまだありそうだ!とちょっと元気を貰った感じ。

速達の檄文とどく夕べにて飛花しろじろと峠こえゆく
馬場あき子『飛花抄』

うわぁ、ゾクゾクする歌ですねぇ。

四条烏丸から徒歩5分ほどのところにオープンした「泥書房」さん。

現代短歌社(一般社団法人三本木書院)併設の書店兼ライブラリーです。

歌集、全集、歌書、総合誌、結社誌、同人誌などが四方の本棚にぎっしりと。この素敵なライブラリー、どなたでも300円で利用できます。さらに年間100円+税の会費を払うと会員カードを作ってもらえて、いろいろな特典があるそうです。

「塔」も置いてあります。

塔短歌会の事務所(烏丸丸太町)から歩くと、15分くらいでしょうか。今はまだちょっと行き来しづらい状況ではありますが、いずれ、京都に来られた際はぜひ。

こんにちは。何だか信じられないですが、もう4月ですね。

塔ではzoomを使って、以下のような企画をおこなっています。

 

・塔zoom歌会 *毎月2回開催

・新樹集・百葉集を読む *毎月1回開催

・はじめてのオンライン歌会ふたたび *4月号にお知らせ掲載予定

 

 

詳しい日程や申込み方法などは、このホームページの「イベントカレンダー」や「お知らせ」にも随時掲載していますので、ぜひこまめにチェックしてみてください。

 

京都の高瀬川沿いは、もう半分近くが葉桜でした。

「サクラの仲間」「カエデの仲間」…アバウトな札。

 

 

 

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