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アーカイブ "2019年10月"

ある原稿を書くために「短歌用」-「原稿・エッセイ等」というフォルダを開けたところ、幻の(!)(と言うほど大げさではないけど)の原稿が見つかりました。
元々「方舟」にでも投稿しようかと思って書いたものですが、「方舟」の文章にしては少々長すぎるし…と思っている内にお蔵入りになってしまったものです。
書いたのは2017年1月。
その前年の2016年にほっともっとフィールド神戸に野球観戦に行ったときのことを思い出しながら書いた文章です。
「ほっともっとフィールド神戸」は、昨年5月に書いたブログ「神戸の休日② ほっともっとフィールド神戸篇」でも取り上げたところです。

久しぶりに読み返してみて、(自分で言うのもなんですが)結構面白かったので、ブログ当番に当たっていたのを奇貨として、ここに投稿しちゃいます。
結構長いので、もしも興味がおありでしたら、お読みいただければ有り難いです。

******** (以下、当時の文章の引用) *******

三塁からの全力疾走

 昨年の三大ニュース(注:2016年12月号)で「憧れのほっともっとフィールド神戸のフィールドシートで野球観戦…」と書いた。
 本当にあれは素晴らしい体験で、目の前を選手が駆け抜ける様、ものすごい打球が飛んでいく様を見るのは、野球好きにとって堪えられない贅沢な時間である。

 さて、この観戦ではプレーそのものが面白かったのはもちろんだけど、それとは別にひどく感動する出来事があった。
 それは埼玉西武ライオンズの木村昇吾選手の全力疾走である。

 木村選手は、その前のオフに広島東洋カープからFA宣言をして移籍を目指した。
 ところが、どこも獲得しようという球団が現れなかった。
 宣言したのに移籍先が見つからないという窮地に追い込まれてしまったまま年を越してしまったのだが、そこに救いの手を差し伸べたのがライオンズだった。
 2月のキャンプで入団テストを実施、木村選手はそれに見事合格し、晴れてライオンズの一員となった。
 木村選手は内野ならどこでも守れるというユーティリティプレイヤーで、内野がやや手薄であったライオンズにとってもいい補強であった。
 ちなみに、FA宣言をしながら他球団にテスト入団するというのは、FA制度始まって以来のことらしい。

 ライオンズの正三塁手は、元々主砲の中村剛也選手であったけれども、2016シーズンは足の具合が思わしくないこともあり、ほとんどがDHとしての出場だった。
 よって、三塁手の座が空いた格好となり、何人かの選手で争っていたけれど、私が見に行った五月ころは木村選手がスタメンで起用されることが多く、私が見に行った試合もそうであった。

 私がその日観戦していたのは、三塁側フィールドシートの最前列という特等席で、つまり目の前がサードベースであった。
 だから、サードの木村選手の動きは大変よく見えた。
 そして、ライオンズは三塁側のベンチに入っているから、スリーアウトをとって、守備から戻ってくるときには、方向的に私たちの方に向かって戻ってくることになる。

 そして、すぐに気がついた。
 木村選手はサードの守備位置から勢いよく全力疾走で戻ってくるのだ。
 他の選手もだらだら帰ってくる訳ではなかったけれど、その木村選手の全力疾走はひときわ目立った。気持ちよかった。
 そして、それはどのイニングでも変わらなかった。

 私はそこに、木村選手のライオンズに、このシーズンに賭ける思いを見たような気がした。
 彼はテスト入団であり、このシーズンに結果を残さないと後がないのだ。
 一日一日が必死だっただろう。
 なんとかライオンズで生き残りたい、その気持ちがサードベースから自軍のベンチまでも全力疾走させたのだと思った。
 私はその姿にじーんときて、いっぺんに木村選手の大ファンになった。
 一緒に行った夫も、木村選手の全力疾走にはいたく感動したらしく、後々も折に触れてその話をしていた。

 ところが、それから1ヶ月も経たないうちに木村選手を悲劇が襲った。
 練習中に右膝前十字靱帯断裂という大怪我をしてしまい、ランニングを再開できるまでに三ヶ月はかかる見込み、もちろんシーズン中の復帰は絶望的となってしまった。
 あの全力疾走に感動した直後のことであったから、私はひどく落胆し、また木村選手の心情を思うと、自分のことのように悔しく、悲しかった。

 そして、木村選手の回復のニュースもないままシーズンは終わり、プロ野球界には冷たい秋風が吹き始めた。
 戦力外通告の季節なのである。
 その中に木村選手の名前が入っているのではと、私は密かに心配し、毎日祈るような気持ちでインターネットのスポーツニュース欄を見ていた。

 だがある日、とうとうライオンズの戦力外通告を受けた選手の名前が発表され、その中には残念ながら木村選手の名前も入っていた。
 このニュースを聞いた(見た)ときの私の気持ちと言ったら…。
 果たしてこれを言葉で表現することが可能なのだろうか。
 悔しさ、悲しさ、憤り、怪我さえ治ればまだまだやれるはず…いろいろな気持ちが交錯し混沌とし、しかしそのどれもがぴったりとはこなかった。

 大好きな選手が引退するときはいつも悲しいが、自分で決める「引退」ではなく、球団から一方的に言い渡される「戦力外通告」は、その比ではない。
 当該選手のこれまでの苦労やがんばり、今現在の心情なんて分かるわけがないのに、それでも自分のことであるかのように、ごちゃ混ぜのなんと名付ければいいのか分からない感情が、少なくとも数日から数週間は胸の中をぐるぐるするのである。
 木村昇吾選手は、どちらかと言えば地味な選手だったし、目立った活躍もそれほどなかった。
 それゆえ、コアなプロ野球ファン以外は、知っている人の方が少ないだろう。
 でも、私は絶対に忘れないと思った。
 あのサードベースからの全力疾走、どのイニングも決して手を抜かない。
 それを目の前で見た感動を、たとえ私だけでも覚えていようと思った。

 三塁から全速力で戻りくる木村昇吾を我は忘れまじ

 詩心もまるでない、本当にどうしようもない歌ではあるが、この歌だけは心に刻印しておこうと思った。

 ということではあったのたが、実はこの話にはまだ続きがある。
 戦力外通告から約1ヶ月が経ったある日、インターネットを見るともなしに見ていたら「西武・木村昇 育成として再契約」という文字が飛びこんできた。

 「うわー、ほんとに?よかったー!」

 私はパソコンの前で大きな声で叫び、ガッツポーズをしていた。
 怪我さえ治れば、また支配下登録される見込みがあるそうだ。
 その日が少しでも早く来ることを祈って、2017シーズンも楽しみに待ちたいと思う。
 がんばれ、木村昇吾!

IMG_3053 - コピー
(見に行った日の写真です。あまりいい写真がなかったのですが、三塁側フィールドシートからの雰囲気だけでも。)

******** (引用終わり) *******

木村昇吾選手のその後ですが、2017シーズン途中で育成選手から支配下登録選手への復帰を果たし、一軍の試合にも出場したものの、結局その年限りで再度戦力外通告。
12球団合同トライアウトを受けるも、獲得球団はなし。

しかし、このトライアウトをきっかけに、クリケット関係者が目を留めて、なんとクリケットのプロ選手に華麗に転身したのです!
(日本のプロ野球選手がクリケットに転身するのは、もちろん史上初)
クリケットは、日本ではあまりなじみのないスポーツですが、イギリス発祥の、イギリス、インド、オーストラリアなどでは大変人気のスポーツで、一流の選手になると、億単位の年俸を稼ぐそうです。

今現在も、クリケット選手として日々闘っている木村昇吾選手。
競技は違えども、日本のパイオニアとしてのその挑戦を応援し続けていきたいです。

 この曲を聴けばデュプレを想ひ出す四十二歳で斃れしことも
                 藤原 學(「塔」10月号より)

「塔」の10月号が届いてすぐ、ぱらぱらとめくっていたら、この歌が目にとまり、驚くと同時にちょっとうれしくなりました。
ジャクリーヌ・デュ・プレは、私の好きなチェロ奏者の一人です。

私は大学時代、大学のオーケストラに入っていたのですが、やっていたのがオーボエという木管楽器だったため、同じオーケストラの楽器でも、弦楽器には少々疎いところがありました。
それでも、ドヴォルザークのチェロ協奏曲は好きな曲でした(余談ですが、聴きに行った演奏会で、たまたまミッシャ・マイスキーがチェロ独奏のこの曲がプログラムにあって、いっぺんに惚れ込んでしまったのでした)。
それで、何がきっかけだったのかは忘れてしまったのですが、当時仲良くしてくれていたチェロの先輩に「何がお薦めですか?」と聞いたところ、「私のお薦めはジャクリーヌ・デュ・プレ!」と薦められ、すぐに買ったのがジャクリーヌ・デュ・プレがチェロ独奏のCD(収録曲はドヴォルザークのチェロ協奏曲と、ハイドンのチェロ協奏曲)だったのです。

早速聴いてみたところ、とても深みのある音色で、人の感情に直接訴えかけるようなその響きに、あっという間にファンになってしまいました。
ほどなくして、彼女の小品集(有名どころではサン=サーンスの「白鳥」などが収録されている)のCDも買ってしまいました。

藤原さんの作品にもありますが、ジャクリーヌ・デュ・プレは天才的なチェロ奏者であったにもかかわらず、多発性硬化症に罹り、1987年、僅か42歳で亡くなりました。
彼女の活躍した期間は、約10年しかなかったとのこと。

私が彼女の演奏に触れたのは、彼女の死後であり、それもCDの録音を通じてのみなので、本当に彼女の演奏の良さに触れているのか、と問われると、あまり自信がありません。
でも、これらのCDは何度聞いても飽きることはなく、それどころか、そのときそのときに応じてさまざまな感情に触れられる、さまざまな感情を起こさせる、ある意味「本物」の演奏なのだと思います。
CDというかたちでも、彼女の演奏が遺されて、それを今でも聴けることはなんと有り難いことなのでしょう。

ちなみに、小品集の方は寝る前に聴くことがよくあります。
とても落ち着いた穏やかな気分になれるのです。

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わが家の近くの公園では、休日になると父さんたちが子どもとサッカーやテニスに興じている様子が見られる。

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その公園に続く道で、最近自転車に乗れるようになったらしい女の子に、後ろから注意を与えながら歩く父親らしい姿が。思わず、シャッターを切ってしまいました。それにしても、子供用自転車で練習できるなんて羨ましい。私が子供の頃は、大きないかつい大人用自転車しかなく(ママチャリですらなく)、いわゆる三角乗り(死語ですな)で必死で練習したのに。

 

下じゃない前を見ろまえをみろ父親が子の自転車をささえて走る
垣野俊一郎「塔2019年10月号」

三か月ほど前、家の前の道路の真ん中に、かみきり虫を
みつけました。変に傾いたまま落ちている、って感じで。

もう亡くなっているのかな、車に轢かれたらかわいそう、と
玄関わきの植え込みに運んでやると、レンギョウの葉に、
傾きながらも、足を動かして、つかまるではありませんか。
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ああ、生きていたんだな、とほっとして、写真を撮ることに。
ゴマダラカミキリ、ですね。ほんと、黒白の斑が美しい。
と、見ていると、いきなりぱっと、翅を広げて飛び立ちました。
宙におかしな弧を描きながら、離れていきました。
やっぱ、どこか体を痛めていたんではないかな・・・・。

  飛ぶ前に翅をおおきくひろげたり櫟の幹のかみきり虫は
                永田愛『アイのオト』
今回の題は、真中さんのシリーズ(?)をまねてみました。

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東京都練馬区にあるちひろ美術館は、岩崎ちひろの自宅兼アトリエが
そのまま利用されて創設されたもの。住宅街にあり、広くはないのですが、
ほぼ二カ月ごとにテーマを替えて企画展が行われています。

今春、私が出かけたときは、「ちひろのキッズファッション」。
ちひろは、絵本画家として知られるようになる以前には、
子供服のデザイナーとして活躍していた時期があり、
数々の婦人雑誌などに、デザイン画が残されていました。

この企画展では、彼女のデザイン画をもとに、服飾を学ぶ学生らが
仕立てた子供服も多く展示されていました。企画室内の撮影は禁止、
とのことなので、中庭を挟んだカフェの窓から写した写真を。
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ちひろの絵本の中の子供たちが、まだその辺を飛び回っているような
雰囲気で、しばらく贅沢な時間に浸りました。

 絵本原画展に少女いざなう絵となりて静かに壁にかかっていたい
                     山下泉『光の引用』

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九月中旬頃、自宅からすぐ近くの自然公園の中で撮影したもの。
自然のまま残されているので「公園」ではなく「××山」と呼ばれてます
訪れる友人は「武蔵野の雰囲気、残っているね!」と感激するけど、
実は「残っている」のではなく「残している」のです。自治体と、
自治会で「手を加えない」という条件で地主から借りているから。

九月になると、まるで「曼殊沙華の苑」と呼びたいくらい、大量に
咲きます。歌に詠みたいけれど、けっこう難しい。何しろわれらが
主宰にはこんな名歌も詠まれているし。

 風を浴びきりきり舞いの曼殊沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
                     吉川宏志『青蝉』

異名が沢山ありますね。その名称が活かされている歌も。
  
 何か埋まる印のごとく彼岸花四五本ほどが道の端に揺る
                小林信也『合成風速』

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台風かなり広範囲に被害をもたらしたようですが
みなさん、ご無事でしょうか。

お見舞い申しあげます。

関西もそれなりに風が吹いて雨が降りましたが、ひとまず明るい朝を迎えた生駒山です。
 
ただ、風は強くて、晩秋の時雨のような雨がぱらついたりしました。

名前で呼ぶ習慣の国はそれで、
番号で呼ぶときには、去年の、一昨年の……となるので、西暦下2桁とあわせて、1919号などと呼びます。

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イナゴが稲にすがるというのは、あたりまえ。
表現として「つきすぎ」であるが、まあいいことにする。

すがりいるひとつイナゴを見ておればくるりと茎の背後にまわる/池本一郎『池本一郎歌集』

カメラを向けていると、じりじりと、やがてくるりと位置を変える。

縦型の写真を載せるのがちょっと難しいので、
稲刈りシーズンに入った田圃の写真の中に、レイアウトしてみた。

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