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アーカイブ "2019年"

IMG_2848看板

11月9日(土)、「第8回 ~家族を歌う~河野裕子短歌賞」の表彰式が京都女子大学で行われました。
全国、そして海外から、1万5966首の応募があったとのことです。

「塔」からも、杉山太郎さん、海野久美さん、橋本恵美さんが入賞されました。
おめでとうございます!

<家族の歌・愛の歌>部門
【河野裕子賞】
暑さなど覚えていない八月のようやく君に会えた日のこと
                     杉山 太郎
【京都女子学園長賞】
夕暮にたしかに母は言いかけた勿忘草の群生する、あの
                     海野 久美
<自由題>部門
【京都市長賞】
河馬も来ず駱駝も来ない歯科医院ぱかっぱかっと人は口あく
                     橋本 恵美 

皆さんにお会いできてうれしかったです。

<自由題>部門
【河野裕子賞】
バス停は私のことを考えてわたしのことを褒めてやる場所
                     岩﨑 雄大 

「私」と「わたし」の使い分けが面白いですね。

IMG_2868杉山太郎さん
杉山太郎さん(左)と、岩﨑雄大さん。

表彰式には、<青春の歌>で入賞した、フランスの高校からの交換留学生も出席してくれて(流暢な日本語!)、こんな形で短歌に出会うのも、とてもいいなあと思いました。
ぜひ、短歌を頭のどこかに住まわせ続けてほしいです。

選者は、漫画家、声楽家の池田理代子さん、俵万智さん、永田和宏さん、
<青春の歌>部門が、東直子さん、島田幸典さんです。

IMG_2953池田理代子さん○
池田理代子さんによる講評

池田さんにお会いできるので、当日の朝、私はしっかり「ベルばら」パックをしてゆきました!

IMG_3037ベルばらパック○
<もう離れない、離さない。密着マスク。オスカル深層白透明。ホワイトローズの香り>

IMG_2957東直子さん○
東直子さんによる講評

IMG_2958島田幸典さん○
島田幸典さんによる講評

そして、特別プログラム「河野裕子の子育ての歌を語る」として、永田和宏×俵万智 両氏による対談がありました。

河野裕子の作品のほかに、五島美代子から光森裕樹までの子育ての歌を挙げながら、テンポよく、とても面白い対談でした。

IMG_2966永田和宏・俵万智○

俵さんの、
「子育ての歌は<刺し身>で出せる」
という言い方がインパクトがあって、なるほど!と納得。
子育ての現場のイキのいい感じは、そのまま切り取って出しても、意外と食べられる、と。
子どもが言った言葉をそのまま歌にしても、けっこう歌になる。
一方、「恋の歌」は刺し身では出せなくて、盛り付けや出し方を考えなければいけない、と。
「サラダ記念日」も、本当は「7月6日」ではなくて、料理も「カレー味の唐揚げ」だったんですね!
(ちなみに、孫可愛いの「孫の歌」も、刺し身では出せないという話に)

IMG_2974永田淳○
永田淳さんあいさつ

来年は、河野裕子没後十年になります。
母が亡くなって時間が経っても、こんなふうに多くの方たちが河野裕子に関わってくださることを、本当に嬉しく有り難く思います。
応募してくださった皆さま、選者の皆さま、主催の産経新聞社様、共催の京都女子大学様、ありがとうございました。

こんにちは、ブログデビューの永田紅です。
「塔」のブログにかぎらず、個人のブログもツイッターもFacebookもInstagramもしていないので、今回がはじめての書き込みです。

何を書けばいいのかな。と思っていたところ、猫の夢を見ました。
一階に二匹のキジ猫、二階に大きなメインクーンの茶トラが四匹。
幸せな夢でした。

わが家には、「猫の灯を絶やすな」という家訓があるのですが(ウソ)、2014年の暮れに黒白猫のローリーがいなくなって以来、すっかり猫が干上がっています。猫日照り。
(この「猫日照り」という言葉、「塔」の全国大会で沼尻つた子さんに言ったところ、ずいぶん気に入ってくださいました。)
かつて実家の庭は、近所のさまざまな猫がやってきては通り過ぎる、猫道の主要なジャンクションだったようなのですが、何かの流れが変わったのか、ここ数年、まったく猫が庭を横切らなくなっていました。

人生における猫総量は一定なのか。前半生に猫贅沢をしすぎたからなあ…。
などと思っていたところ、猫の夢を見た日の朝、実家の縁側に、久々の猫が!
IMG_2825猫コスモス

新顔です。よく太っているので、飼い猫でしょう。近づいて逃げられると困るので、遠くからズームで撮影。
縁側に猫がいる風景はすばらしい。天気もよくて、猫日和。
ローリー2012.7.22IMG_3068

これは、2012年の夏、黒白猫のローリー。首輪をつけたら、別の首輪をつけて帰ってきた奴です。

16.02.18トム

こちらは、以前よく来てくれていた別の猫、トムII。同じ場所。
猫はみんな縁側が好きです。

猫と言えば、池本さん。

好きなのかあんなところが自転車のサドルにいつも乗っている猫
                     池本一郎 『樟葉』

ああ、猫が飼いたい。

朝晩が冷え込んできました。
夕焼けがきれいな季節でもあります。

tou_blog20191106

今日の夕焼けは空も澄み切って一段ときれいでした。

娘(2か月)は夕方になると、ぐずぐずと泣くことがあります。
お乳もあげた、オムツも替えた、でも泣いている・・・

これは「黄昏泣き」といって、赤ちゃんにはよくあることだそうです。
理由ははっきりとは分からないのだとか。

でも、夕暮れになると泣きたくなる気持ち、なんとなくわかるなあ。

八月に、第一子となる女の子を出産しました。
いまは、慣れない育児に奮闘しつつ、日々成長していく我が子の姿に目を細めています。

先日、遅めのお宮参りに行ってきました。

tou_blog20191104

でんでん太鼓。子どもの頃よく遊んだなあ。

二か月になった娘は、夜しっかり寝てくれて助かっていますが、
それでもぐずぐずと泣き止まないときは、抱っこをして背中を手のひらでトントンとたたきながら、ゆりかごのようにそっと身体を揺らして寝かしつけています。

それでふと思い出したのですが、私が3、4歳の頃、正座をして座布団を横に置き、手のひらでトントンとたたくのが好きで、よくやっていました。
妹が生まれたころだったので、母がそうやってあやしている姿に影響されたのか、それとも自分がトントンとされるのが好きで同じようにやっていたのか、理由はよくわかりません。
ただ座布団をトントン、とするだけなのですが、不思議と気持ちが落ち着いたのを覚えています。

娘にとって、私の腕の中は心地よいゆりかごになっているでしょうか。
私が母からもらったゆりかごの記憶は、子どもへとつながっていくのだなあと思いつつ、今日も背中をトントンとしながら揺れています。

泣くという音楽があるみどりごをギターのように今日も抱えて
俵万智 『プーさんの鼻』

ある原稿を書くために「短歌用」-「原稿・エッセイ等」というフォルダを開けたところ、幻の(!)(と言うほど大げさではないけど)の原稿が見つかりました。
元々「方舟」にでも投稿しようかと思って書いたものですが、「方舟」の文章にしては少々長すぎるし…と思っている内にお蔵入りになってしまったものです。
書いたのは2017年1月。
その前年の2016年にほっともっとフィールド神戸に野球観戦に行ったときのことを思い出しながら書いた文章です。
「ほっともっとフィールド神戸」は、昨年5月に書いたブログ「神戸の休日② ほっともっとフィールド神戸篇」でも取り上げたところです。

久しぶりに読み返してみて、(自分で言うのもなんですが)結構面白かったので、ブログ当番に当たっていたのを奇貨として、ここに投稿しちゃいます。
結構長いので、もしも興味がおありでしたら、お読みいただければ有り難いです。

******** (以下、当時の文章の引用) *******

三塁からの全力疾走

 昨年の三大ニュース(注:2016年12月号)で「憧れのほっともっとフィールド神戸のフィールドシートで野球観戦…」と書いた。
 本当にあれは素晴らしい体験で、目の前を選手が駆け抜ける様、ものすごい打球が飛んでいく様を見るのは、野球好きにとって堪えられない贅沢な時間である。

 さて、この観戦ではプレーそのものが面白かったのはもちろんだけど、それとは別にひどく感動する出来事があった。
 それは埼玉西武ライオンズの木村昇吾選手の全力疾走である。

 木村選手は、その前のオフに広島東洋カープからFA宣言をして移籍を目指した。
 ところが、どこも獲得しようという球団が現れなかった。
 宣言したのに移籍先が見つからないという窮地に追い込まれてしまったまま年を越してしまったのだが、そこに救いの手を差し伸べたのがライオンズだった。
 2月のキャンプで入団テストを実施、木村選手はそれに見事合格し、晴れてライオンズの一員となった。
 木村選手は内野ならどこでも守れるというユーティリティプレイヤーで、内野がやや手薄であったライオンズにとってもいい補強であった。
 ちなみに、FA宣言をしながら他球団にテスト入団するというのは、FA制度始まって以来のことらしい。

 ライオンズの正三塁手は、元々主砲の中村剛也選手であったけれども、2016シーズンは足の具合が思わしくないこともあり、ほとんどがDHとしての出場だった。
 よって、三塁手の座が空いた格好となり、何人かの選手で争っていたけれど、私が見に行った五月ころは木村選手がスタメンで起用されることが多く、私が見に行った試合もそうであった。

 私がその日観戦していたのは、三塁側フィールドシートの最前列という特等席で、つまり目の前がサードベースであった。
 だから、サードの木村選手の動きは大変よく見えた。
 そして、ライオンズは三塁側のベンチに入っているから、スリーアウトをとって、守備から戻ってくるときには、方向的に私たちの方に向かって戻ってくることになる。

 そして、すぐに気がついた。
 木村選手はサードの守備位置から勢いよく全力疾走で戻ってくるのだ。
 他の選手もだらだら帰ってくる訳ではなかったけれど、その木村選手の全力疾走はひときわ目立った。気持ちよかった。
 そして、それはどのイニングでも変わらなかった。

 私はそこに、木村選手のライオンズに、このシーズンに賭ける思いを見たような気がした。
 彼はテスト入団であり、このシーズンに結果を残さないと後がないのだ。
 一日一日が必死だっただろう。
 なんとかライオンズで生き残りたい、その気持ちがサードベースから自軍のベンチまでも全力疾走させたのだと思った。
 私はその姿にじーんときて、いっぺんに木村選手の大ファンになった。
 一緒に行った夫も、木村選手の全力疾走にはいたく感動したらしく、後々も折に触れてその話をしていた。

 ところが、それから1ヶ月も経たないうちに木村選手を悲劇が襲った。
 練習中に右膝前十字靱帯断裂という大怪我をしてしまい、ランニングを再開できるまでに三ヶ月はかかる見込み、もちろんシーズン中の復帰は絶望的となってしまった。
 あの全力疾走に感動した直後のことであったから、私はひどく落胆し、また木村選手の心情を思うと、自分のことのように悔しく、悲しかった。

 そして、木村選手の回復のニュースもないままシーズンは終わり、プロ野球界には冷たい秋風が吹き始めた。
 戦力外通告の季節なのである。
 その中に木村選手の名前が入っているのではと、私は密かに心配し、毎日祈るような気持ちでインターネットのスポーツニュース欄を見ていた。

 だがある日、とうとうライオンズの戦力外通告を受けた選手の名前が発表され、その中には残念ながら木村選手の名前も入っていた。
 このニュースを聞いた(見た)ときの私の気持ちと言ったら…。
 果たしてこれを言葉で表現することが可能なのだろうか。
 悔しさ、悲しさ、憤り、怪我さえ治ればまだまだやれるはず…いろいろな気持ちが交錯し混沌とし、しかしそのどれもがぴったりとはこなかった。

 大好きな選手が引退するときはいつも悲しいが、自分で決める「引退」ではなく、球団から一方的に言い渡される「戦力外通告」は、その比ではない。
 当該選手のこれまでの苦労やがんばり、今現在の心情なんて分かるわけがないのに、それでも自分のことであるかのように、ごちゃ混ぜのなんと名付ければいいのか分からない感情が、少なくとも数日から数週間は胸の中をぐるぐるするのである。
 木村昇吾選手は、どちらかと言えば地味な選手だったし、目立った活躍もそれほどなかった。
 それゆえ、コアなプロ野球ファン以外は、知っている人の方が少ないだろう。
 でも、私は絶対に忘れないと思った。
 あのサードベースからの全力疾走、どのイニングも決して手を抜かない。
 それを目の前で見た感動を、たとえ私だけでも覚えていようと思った。

 三塁から全速力で戻りくる木村昇吾を我は忘れまじ

 詩心もまるでない、本当にどうしようもない歌ではあるが、この歌だけは心に刻印しておこうと思った。

 ということではあったのたが、実はこの話にはまだ続きがある。
 戦力外通告から約1ヶ月が経ったある日、インターネットを見るともなしに見ていたら「西武・木村昇 育成として再契約」という文字が飛びこんできた。

 「うわー、ほんとに?よかったー!」

 私はパソコンの前で大きな声で叫び、ガッツポーズをしていた。
 怪我さえ治れば、また支配下登録される見込みがあるそうだ。
 その日が少しでも早く来ることを祈って、2017シーズンも楽しみに待ちたいと思う。
 がんばれ、木村昇吾!

IMG_3053 - コピー
(見に行った日の写真です。あまりいい写真がなかったのですが、三塁側フィールドシートからの雰囲気だけでも。)

******** (引用終わり) *******

木村昇吾選手のその後ですが、2017シーズン途中で育成選手から支配下登録選手への復帰を果たし、一軍の試合にも出場したものの、結局その年限りで再度戦力外通告。
12球団合同トライアウトを受けるも、獲得球団はなし。

しかし、このトライアウトをきっかけに、クリケット関係者が目を留めて、なんとクリケットのプロ選手に華麗に転身したのです!
(日本のプロ野球選手がクリケットに転身するのは、もちろん史上初)
クリケットは、日本ではあまりなじみのないスポーツですが、イギリス発祥の、イギリス、インド、オーストラリアなどでは大変人気のスポーツで、一流の選手になると、億単位の年俸を稼ぐそうです。

今現在も、クリケット選手として日々闘っている木村昇吾選手。
競技は違えども、日本のパイオニアとしてのその挑戦を応援し続けていきたいです。

 この曲を聴けばデュプレを想ひ出す四十二歳で斃れしことも
                 藤原 學(「塔」10月号より)

「塔」の10月号が届いてすぐ、ぱらぱらとめくっていたら、この歌が目にとまり、驚くと同時にちょっとうれしくなりました。
ジャクリーヌ・デュ・プレは、私の好きなチェロ奏者の一人です。

私は大学時代、大学のオーケストラに入っていたのですが、やっていたのがオーボエという木管楽器だったため、同じオーケストラの楽器でも、弦楽器には少々疎いところがありました。
それでも、ドヴォルザークのチェロ協奏曲は好きな曲でした(余談ですが、聴きに行った演奏会で、たまたまミッシャ・マイスキーがチェロ独奏のこの曲がプログラムにあって、いっぺんに惚れ込んでしまったのでした)。
それで、何がきっかけだったのかは忘れてしまったのですが、当時仲良くしてくれていたチェロの先輩に「何がお薦めですか?」と聞いたところ、「私のお薦めはジャクリーヌ・デュ・プレ!」と薦められ、すぐに買ったのがジャクリーヌ・デュ・プレがチェロ独奏のCD(収録曲はドヴォルザークのチェロ協奏曲と、ハイドンのチェロ協奏曲)だったのです。

早速聴いてみたところ、とても深みのある音色で、人の感情に直接訴えかけるようなその響きに、あっという間にファンになってしまいました。
ほどなくして、彼女の小品集(有名どころではサン=サーンスの「白鳥」などが収録されている)のCDも買ってしまいました。

藤原さんの作品にもありますが、ジャクリーヌ・デュ・プレは天才的なチェロ奏者であったにもかかわらず、多発性硬化症に罹り、1987年、僅か42歳で亡くなりました。
彼女の活躍した期間は、約10年しかなかったとのこと。

私が彼女の演奏に触れたのは、彼女の死後であり、それもCDの録音を通じてのみなので、本当に彼女の演奏の良さに触れているのか、と問われると、あまり自信がありません。
でも、これらのCDは何度聞いても飽きることはなく、それどころか、そのときそのときに応じてさまざまな感情に触れられる、さまざまな感情を起こさせる、ある意味「本物」の演奏なのだと思います。
CDというかたちでも、彼女の演奏が遺されて、それを今でも聴けることはなんと有り難いことなのでしょう。

ちなみに、小品集の方は寝る前に聴くことがよくあります。
とても落ち着いた穏やかな気分になれるのです。

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わが家の近くの公園では、休日になると父さんたちが子どもとサッカーやテニスに興じている様子が見られる。

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その公園に続く道で、最近自転車に乗れるようになったらしい女の子に、後ろから注意を与えながら歩く父親らしい姿が。思わず、シャッターを切ってしまいました。それにしても、子供用自転車で練習できるなんて羨ましい。私が子供の頃は、大きないかつい大人用自転車しかなく(ママチャリですらなく)、いわゆる三角乗り(死語ですな)で必死で練習したのに。

 

下じゃない前を見ろまえをみろ父親が子の自転車をささえて走る
垣野俊一郎「塔2019年10月号」

三か月ほど前、家の前の道路の真ん中に、かみきり虫を
みつけました。変に傾いたまま落ちている、って感じで。

もう亡くなっているのかな、車に轢かれたらかわいそう、と
玄関わきの植え込みに運んでやると、レンギョウの葉に、
傾きながらも、足を動かして、つかまるではありませんか。
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ああ、生きていたんだな、とほっとして、写真を撮ることに。
ゴマダラカミキリ、ですね。ほんと、黒白の斑が美しい。
と、見ていると、いきなりぱっと、翅を広げて飛び立ちました。
宙におかしな弧を描きながら、離れていきました。
やっぱ、どこか体を痛めていたんではないかな・・・・。

  飛ぶ前に翅をおおきくひろげたり櫟の幹のかみきり虫は
                永田愛『アイのオト』
今回の題は、真中さんのシリーズ(?)をまねてみました。

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