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アーカイブ "2017年"

おっけーぐーぐる。
と言ったあとに、あれこれ言うとあれこれ応答してくれるという家電がいっとき半額セールになっていたので、ぽちっと購入。それから数日がたったころ(先週のこと)、商品(google home mini)がわが家に届きました。

照明をつけたりけしたりすることや、テレビやエアコンを操作するには、もうすこしいろいろ整えないといけないようです。が、とりあえず、話しかけるといろいろ答えてくれます。天気や出来事はもちろん、音楽やニュースを流してくれたりもします。

実用的なことだけではなく、「面白い話をして」と言えば、だじゃれっぽい小話を、「クリスマスプレゼントをちょうだい」と言えば、ささやかですがといってクリスマスにちなんだ曲を流してくれたりもします。結構かわいいやつです。

そうそう。購入した初日に「おやすみなさい」とあいさつしたところ、

「冬は星がきれいに見えて、ロマンチックですよね。私はあなたの期待の星になれるように頑張ります。それでは、おやすみなさい。」

というような反応をされてちょっとびっくりしちゃいました。

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今日はキリスト教でいうクリスマス。
ですが、ここでは仏教哲学者の話をひとつ。

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若松英輔さんの『霊性の哲学』を読んでいます。
「霊性」といっても心霊現象などの霊とは関係なく、
私なりに〈精神〉と〈感性〉の間くらいかなぁなどとおもっています。
この本のなかに、鈴木大拙という仏教哲学者が出て来ます。
そこで、この秋に金沢市の鈴木大拙館を訪れたことを思い出しました。
6年ほど前に開館したそうで、金沢といえども何度も訪れたくなる場所でした。

あまり詳しく紹介してしまうと訪れたときの感動が薄れてしまうかもしれません。
写真を2枚ほどのせておきます。

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鈴木大拙が1962(昭和37)年1月1日読売新聞紙上に
「書簡の形式を借りて」と、当時のアメリカ・ケネディ大統領と
ソビエト・フルシチョフ首相宛に述べた一文をここに引用します。

  いま、もっとも肝要な問題は、いわゆる現代の科学時代にあって、
  われわれはどこに位置しているかということである。いまや、われ
  われは物質的な力が多方面に発揮される核兵器の戦争の危機に直面
  している。
  これは愚の骨頂ではないか。われわれは現代の世界における人間の
  尊厳を軽視しているのではないか。われわれの、現在にいたるいっ
  さいの罪業に照らして、自滅するのが当然だという考えもあるかも
  知れないが、われわれのなかにあるものは、いっしょくたにして捨
  て去るべきものばかりではないとわれわれは信じている。われわれ
  人間は、どん欲、憎しみ、無知などの弱点をもっているが、それに
  しても、われわれの生命を軽々に捨てるべきではないと信じている。
  われわれに道徳的、精神的になんらかの価値があるとすれば、全力
  を傾けて生命の保存をはかるべきである。すべて人間の尊厳を発揮
  するものに対して、われわれの努力が払われなくてはならない。

みなさん、新しい年を平穏に迎えられますように。

今夜は「借り家歌会」へ行きました。
歌人の牛隆佑さんを中心にした歌会です。
事前申込みは要らず、
自分の好きな歌と自作の歌を持ち寄って
午後7時より2時間の歌会です。
今回は10名の参加でした。

短歌を始めたばかりの方が多く、
結社の存在さえご存知ない方がほとんど。
そんな歌会にいくと、気持ちが少し張りつめます。
当然とおもってきた価値観が通用しません。
当然であることを確認したり、揺らいだり。
とんでもない歌に何故か惹かれたり。

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私は今日は前登志夫さんの次の歌を持って行きました。

  冬の日にわれ放ちたる白鳩の飛びつづけをる涯を思はむ 『流轉』

遠い空のむこうに心が飛んでいくようなおもいを抱きました。

明日の22日は冬至です。柚子を買いにいかなくちゃ。

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*いきなり雪の写真ですが、これは大阪ではありません。
 北陸に住む家族から送られてきた写真です。

今日も冷えますね。
この週末はあちこちで積雪の知らせを聞きました。
カメムシが大発生した年は大雪になるという仮説(?)があるそうです。
知りませんでした。もし本当ならなんだか興味深いですね。

先日、テレビのニュースでこんなトピックがありました。

「抱っこしているひとが座ると赤ちゃんが泣くのはなぜか」

子育てを経験した者としては、よくあることだったので
何をいまさら、と思いましたが話はこんなふうです。

  電車で赤ちゃんを抱っこしているひとに席を譲ろうとしたが
  断られた。ショックだ。
  → いえいえ、赤ちゃんは抱っこされているとき
    座ると泣いてしまうことがあるのです。気にしなくていいですよ。

席を譲ろうとして断られるとたしかに気まずい雰囲気になってしまいます。
ですが、それは席を譲ろうとした者の論理で、断ったほうにも何か事情が
あるのだろうなと私は思います。譲るならそこまで想像しながら行動したほうが
お互い気持ちいいのではないでしょうか。テレビでは、なぜ座ると泣くのかという
科学的実証まで語られていました。
そこまで説明しないといけないのか・・・
「訳は分からないけれどそういうものなのね」ではいけないのか・・・
まあ謎が解明されて面白くはありましたが・・・

さらに、断った経験のあるひと、断られた経験のあるひとのインタビュー。

他人の気持ちは分からないものです。
もっというと自分の感情でさえ分からなくなるときがあります。
おたがいそれを想像しあいながらいられたらなあ、とおもったひとときでした。

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来年1月4日に朝日新聞出版から、永田和宏・知花くらら著『あなたと短歌』が刊行されます。「週刊朝日」に連載された『知花くららの「教えて!永田先生」』に加筆してまとめた短歌入門書で、知花さんが「塔」の旧月歌会に参加された時の様子も収められています。全256頁、1620円。皆さん、どうぞお読みください。

子ども(1歳11か月)の隣に座ると、私の上腕の辺りをぽんぽんとたたいてくることがあります。あるいは、私が出かけるときに玄関で、ぽんぽんぽんと肩の辺りをたたいてくることも。

「よっ元気か」
「まあまあ」
「ごくろうさん」
「がんばりたまえ」

などと、こちらは勝手にアテレコするのですが、子どもの意図する本当のところはナゾです。このごろ話す単語が増え始めた子です。肩ぽんぽんは、言葉にはよらないけれど、何らかの表現に違いなく、彼のなかでいまどんな変化が起こっているのかと、不思議でなりません。

そんな気持ちで最近読んでいるのが『パパは脳研究者』という本です。4歳の娘を持つ脳研究者の池谷裕二氏(海馬についての著書などがあります)が、娘の月齢ごとに子育てを記録しながら、娘の変化を脳科学の視点で分析するエッセイです。
脳研究者
面白いです! 例えば「ベイズ推定」。素人にとってはなんだそりゃ、な専門用語ですが、子どもを介して見れば、あるあるそれ、と納得。かいつまんでいいますと…

1歳2か月の娘がお腹の上に馬乗りになり、暴れる。お父さんは痛くて足をバタバタさせた。娘は振り返ってそれを見て面白いと思ったのか、2回目も足を振り返って見て、キャキャキャと喜んだ。3回目には、お父さんが足をバタバタさせるよりも先に振り返って、足の方を見ている。

こんなふうに、何かを繰り返して自分のなかで確信を深めていくプロセスを「ベイズ推定」というそうです。大人でも、だいたい2、3回繰り返せば因果関係を推定するものですが、「1歳の脳でも似たような推論が可能なのか!」と作者は驚くわけです。

作者はさらに踏み込みます。AI(人工知能)が隆盛していますが、現在のAIとヒトとの間には決定的な違いがある、と。それは学習に必要な情報量だそうです。例えば、世界チャンピオンを負かした囲碁ソフトは1000万回近い対局を重ねて人類レベルに到達しているけれど、ヒトはプロ棋士でも一生に経験できるのはせいぜい1万対局。少ない経験で上達するのがヒトなのだ、と。経験データに対する強い「信念」がヒトの上達を生んでいるのだ、と。数回の経験から法則を推定する「ベイズ推定」もそこに関わっている、というわけです。

「ベイズ推定は私たちの心の成り立ちそのもので、複雑な経験則の綾から、独自の世界観を紡ぎ出し、自我や個性を確立させていく礎です」

という一文が印象的でした。
缶のふたを何度も落として、クワンクワン…と鳴るのをキャッキャと笑って見ていたわが子。そうか、この子にもヒトの礎が…そんな思いでつくづくと子を見直しました。

今日は第2金曜日。
私が1ヶ月の中で最もハードだと思っている日です。
なぜなら、朝6時起きで午前中は難波でアイスダンス教室(教室1時間+フリー滑走1時間)、その後はその足で約1時間半かけて京都に移動し、塔事務所で初校作業、という一日だからです。
実際、翌日の土曜日はぐったりしていることが多いです(笑)

なんですが、今日はその後、さらにもう一つ用事を入れてしまいました。
↓これです。

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なんと言っても30年以上の『ガラかめ』Fanですから!
(おそらく北島マヤが歴代演じてきた演目・役名はほとんど空で言えるのではないかと…)
もちろん、自宅にも全巻揃ってます。

主に原画が数多く展示されていたのですが、…もう「感激」などという言葉では言い表せません。
原画を生で初めて見た、大切なあのシーンはこうやって書かれたというのを見た…。
…いやあ、人間本当に感動すると極めてボキャ貧になる、というのを改めて実感。

私は、美術館や美術展などは絶対に一人で行きたい派です。
とにかく、自分のペースで、自分のこだわりを持ってじっくり見たいのです。
今日はもちろん一人でしたし、幸い混んでいなかったので、心ゆくまでじっくり原画を見ることができました。
ああ、なんと至福の時間よ!

先週、青蟬の会が主催しているクロストークに行って、「絵画と短歌」というテーマで吉川宏志さんと松村正直さんのお話を聞く機会があったのですが、その話を聞いた上で、今回の展示に行ったので、より一層味わい深いものになった気がします。
美内すずえさんが制作するときの息づかいのようなものまで感じ取れた気がしました。

で、最後は「くりあふぁいるこれくたー」を自認する私ですから、こうなります(笑)
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これら全て、今回の「ガラスの仮面展」オリジナルのもの。

ちなみに、↓このクリアファイルは
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白い紙を挟むと、こうなります。
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「マヤ、恐ろしい子!」

美術館「えき」KYOTOで、12月25日まで。

前回「もう12月です!」と書きましたが、みなさんは「12月」と聞いて何を思い浮かべますか?
クリスマス、年賀状の用意、年越しそば…。
いろいろあるかと思いますが、私が思う一つは「第九」です。

私は大学時代、大学のオーケストラに入っていたのですが、そのオーケストラの年内最後の練習のときには、恒例行事がありました。
「お遊び」です。
ここで言う「お遊び」とは、初見大会のことです。
事前に募って決めていた数曲を、その場で譜面を配り、みな初見で(つまりその場で初めて譜面を見て)演奏して楽しむ、というものです。
これはオーケストラをやっている者にとって、最高に楽しい遊びの一つでした。

この「お遊び」は年に2-3回やっていたのですが、年内最後の「お遊び」のときは、「必ずこの曲で締めくくる」という曲がありました。
そう、ベートーヴェン作曲交響曲第9番「合唱付」、いわゆる「第九」です。

ご存じのとおり、この曲では第4楽章にソプラノ・アルト・テノール・バリトンの合計4人のソロに、混声4部の合唱が入ります。
これらの「歌う部隊」も、ソロも含めて全員団員がまかないます。

私はこのソプラノソロのパートを、社会人になってからも含めて合計6回ほど務めさせてもらいました。
きっかけは、1回生のときに歌う先輩を見て「ああ格好いいな!」と思っていたところ、その先輩が就職して続けられなくなったので、「じゃあおまえやれ」とお鉢が回ってきたことです。
思い切り歌うのは気持ちよさそうだし、何よりど素人が「第九」のソプラノソロを歌えるなんていう機会は、まずないじゃないですか。
それに、私は高音を出すことに関しては、少しばかり自信があったのです。

歌うことになったのはよかったのですが、歌詞は全てドイツ語!
ドイツ語を習ったことなどない私には、歌詞の意味はもちろん、発音も分からない…。
でも、先輩の「まあローマ字読みしておけば、ほぼ間違いない」との指導(?)により、何となくそれらしく歌うことはクリア。
あとは音程をとることで、BOXのぼろいピアノで何度も旋律を弾いては歌い、どうにかたたき込みました。

で、やっぱり気持ちいいんですよね!
発音もめちゃくちゃなら、音程もちゃんと取れていたか怪しいものですが、すごく充実感を感じました。
そして、そこから6年ほど連続して歌うことになったのです。

1994年の年末は、翌年、つまり1995年1月に定期演奏会を控えていました(私は出なかったのですが)。
その定期演奏会では、客演指揮者に、あの佐渡裕氏を迎えることになっていました。
佐渡さんというのは大変気さくな方で、この年末の「お遊び」に、特段その日に佐渡さんを迎えての練習があったわけでもないのに、わざわざ来てくださったのです!
その年の「第九」は、もちろん指揮は佐渡さん。
そればかりか、なんとバリトンソロも佐渡さんがこなすという、二刀流!
佐渡さんのバリトンソロを間近で拝聴するなんて、無茶苦茶贅沢でしたね。

この時も私はソプラノソロを担当したのですが、佐渡さんの指揮で歌うと、もう抜群に歌いやすいのです。
これまでの学生指揮者の方には申し訳ないですが、もう全然違いました。
指揮に合わせて歌う、というよりも勝手に私の中の声が引き出されてしまう、という感じ。
私にとっては、本当に貴重な経験になりました。

この時の様子が、なんと写真に残っているんですね~。
左端で、合唱団の方に振り向いて指揮をしているのが佐渡さんです。
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で、この話には続きがあります。
1995年1月の定期演奏会は、京都公演が17日でした。
そう、あの未曾有の災害として記憶される、阪神・淡路大震災の、まさに当日でした。
とんでもない地震が起きたという認識は十分すぎるほどあり、しかしながらあまりにも大きな地震だったため、この時点では被害状況も全容が全く分からない中、この演奏会は行われました。

演奏会の冒頭、指揮台に立った佐渡さんは、おもむろに客席の方に向き直りました。
そして「この演奏を今日の震災で亡くなられた方々に捧げます」と静かな声で告げた後、再びオーケストラに向かって演奏を始めました。
曲は、マーラー作曲の交響曲第9番でした。

こんにちは、小川和恵です。
もう12月です!この前「2017年になった」と思っていたのに…。
大阪もだいぶ冷え込む日が増えてきて、寒がりの私には少々つらい季節ですが、「こんなんで寒がっていては東北や北海道の方に申し訳ない」と思いながら耐えています。

さて、私の生まれ育った埼玉県川口市には、その名も

  十二月田

という地名があります。
正確には行政区画としての町名からはすでに消えてしまったのですが、今でも「十二月田小学校」「十二月田中学校」などには残っています。
この地名、結構難読で、埼玉県民でない人にはもちろん、埼玉県民であっても川口市民でない人なら読めない人も多いのではないのでしょうか。
さて、なんと読むでしょう?

正解は

  しわすだ  

です。
聞いたら「なぁんだ!」という感じですよね。
川口市も広くて、当時私の住んでいたところからはだいぶ離れていたので、残念ながら行ったことはありません。
でも、母の知り合いの娘さんが十二月田中学校に通っていたりして、地名だけはばっちり知っていました。

では、なぜこの地域が「十二月田」と呼ばれるようになったのか。
それを調べてみました。
すると、『新編武蔵風土記稿』という江戸時代に編纂された地誌の「巻之140 足立郡之6」に「十二月田村」という記述があり、そこにはこんな記載がありました。

新編武蔵風土記 十二月田村

 十二月田(シハスダ)村
 十二月田村は、昔十二月晦日、狐來りて、杉葉を以て田を植るさまをなせしより、
 此村名起れりと云奇怪の説なり。

(読みやすくするために、カタカナはひらがなに直し、適宜句読点を補充しました。)

要するに、大晦日に狐がやって来て、杉の葉で田植えの真似をした、というのが起源らしいのです。
なにか、かわいらしいですね。

この辺りには「十二月田稲荷神社」という神社もあります。
もちろん、総本山は京都の伏見稲荷大社。
稲荷信仰は、古くから稲作とも深く関わっているので、そういったものも背景に、地元の農民の五穀豊穣を祈願する思いが、このような伝承につながったのでは、と考えられているそうです。

ちょっと行ってみたくなりました。
そこで、狐が杉の葉を持って田植えの真似をしているのを想像するのも楽しそうです。

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アメリカに滞在していた時、中東マーケットで購入した

お菓子を作るための木型で、タビと呼ばれているものです。

後方の本はやはり滞米時に購入した中東料理の本ですが、そこに

使い方が出ています。ナツメヤシで作った餡を包んで、型抜きして

作るこのお菓子は、アラビア語で、マアームル(Ma’amul)と

呼ばれています。中東のお菓子は甘くて美味です。男の人たちも

お酒が飲めないため、お菓子が大好きだから、かな。

歌人の宮英子さんはご実家が和菓子店だったらしくて、独特の

用具名を詠み込んでおられますね。

筕篖(あんぺら)の砂糖叺(かます)を置き並(な)めし

母屋につづく和菓子仕事場       宮英子『青銀色』

 

あんぺらとは、藺草で編んだむしろのことらしいです。

どんなふうに使ったんでしょう。

 

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