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アーカイブ "2016年11月"

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あるとき、歌会で「ヒイラギの花の香り」という作品の批評に「誰も気づかないようなことに気付くのはすごい」といって笑われたが、知らなければ、興味なければ花が咲いているとも気づかないものだ。
秋のおわり~冬のはじめのヒイラギは良い香りの花をつける。

ヒイラギはモクセイ科。ギンモクセイと交雑して「ヒイラギモクセイ」などというのもあるが、蘂がつんつん出ているのはヒイラギと見てよいようだ。

ひひらぎの白き小花(こばな)の咲くときにいつとしもなき冬は來むかふ/齋藤茂吉『暁紅』
いま、君を帰したあとで柊の花に気づいた、ほら、門のとこ/千種創一『砂丘律』
香りよき花よと言ひて寄る娘等に柊の花と教へやるべし/佐藤千廣『風樹』

冬がやってくる。花の香りというのは、だいたい季節を感じさせるもの。どこからが晩秋でどこから初冬なのか、寒波のあとに小春日和が来たりもして判然としないが、それでもヒイラギの花が咲けばやがて冬。
モクセイ科だが、キンモクセイに比べてギンモクセイの香りが淡いように、ヒイラギの香りもそれほど強くない。だから「君を帰したあとで」気づく。さっき気づいていたらそれも話題にしたのに。君といっしょに顔を寄せて香りを楽しんだのに……という千種作品。
3首めの作者は私の高校の恩師。前後の作品からすれば「娘等」は女生徒。目立たない植え込みの花に初めて気づいたのだろう。この歌集は私たちの在学期間を含むから、いろいろと思い当たるところもあったりするのだが。

   *

冬がはじまるといえば、街のかざりは、もはやクリスマス。

クリスマスの飾りとして、ヒイラギが使われることがあるが、あのヒイラギというのは別物。モチノキ科のセイヨウヒイラギとかアメリカヒイラギというもの。

これも近所で見付けたので写真を撮ってみた。

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柊の飾りすがしき聖夜の町さらぼふ犬とわれと歩める/岡野弘彦『滄浪歌』
紅にひひらぎそよご色づきて冬の祭りせむ幼は遠し/土屋文明『続々青南集』

岡野作品の「柊の飾り」は、生木のそれかどうかわからない。町の飾りは、いろいろとつくりものもあるだろう。
土屋文明のほうは「ひひらぎそよご(柊冬青)」という言いまわし。これは「冬青」がモチノキを意味し、とりわけ赤い実をつけるソヨゴのこと。幼い子どもたちのためにセイヨウヒイラギを植えたのか。その実が色づくころになってクリスマスの時期ではあるが、その子の親たちも忙しく、幼い子も成長してなかなか老人の顔を見に来ない。

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じつは、初夏のころに、別の場所ではあるけれどヒイラギにしたはちょっと違う……なんだろうこれは?と思って写真を撮ってあった。このとき調べてヒイラギとは別種のセイヨウヒイラギがクリスマスの飾りの赤い実をつけるということを知ったのだった。

   *

ところで、ヒイラギの歌にどんなものがあるかと、あちこち探していて見付けたのがこんな作品。

ひひらぎは葉の棘消えておのづから老木となる神のやしろに/小池光『滴滴集』
ひひらぎの円き末葉も心にしむこの古庵に君が幾年/土屋文明『続々青南集』

これも知らなかったが、モクセイ科のほうのヒイラギは古木になると葉の縁の棘がなくなるのだという。

そうなると、これはもうモクセイと区別がつかなくなる。

写真

毎年のことだが、郷里に帰って柿農家をやっている元上司から柿をいただいた。ありがたいことです。

柿は果実を食べるほか、「柿渋」が塗料・染料・防腐剤として用いられ、木材も有用。「柿の葉寿司」では葉まで使う。人の生活に近いところにあったためか、「猿蟹合戦」をはじめとして、いろいろと比喩、寓意のネタになりやすいものでもある。

中村憲吉の、歌集に入っていない作品に「財界諷詠」というシリーズがある。「サンデー毎日」の創刊直後「大正十一年十月二十九日より大正十二年四月二十二日まで」で、ちょっとしたコラムのようなスタイルで連載していたものだろうか。

   いかしく脹れたる國の費をほぼ三億圓つづめ、十二億圓にて國を賄はむ
   とぞ、上下に誓ひて任に就ける大藏の大臣あり。さてなむ、年の秋にい
   たりて豫算と云ふものを査定しけるに、その節約さきの半ばに及ばず。
   もとより有るべき筋ならねば、大臣いたく驚きいぶかりて宣給ひける

夜な夜なに誰盗(と)りけらし家の木に熟(う)れたる柿はいくらのこらず

   密かに腹滿ちて嗤ふものに某の政黨あり

隣びと狡(こす)く睦(むつ)びぬ晝は來て木の柿をほめ食ひたらひける
柿守(かきもり)は木をよくまもれ然れどもとなりの垣は結(ゆ)ひわすれたり

   うたてや各々の司の豫算を奪ひ合ふ有様は

裸木(はだかぎ)に柿ののこり實乏しけど啄(つひば)むからす下(お)りてさわげり

柿の実が熟すのを楽しみにしていたのだが、いつの間にか隣人が「美味しいですなあ。いつもありがとうございます。」と言いながら食ってしまった。カラスもまた柿をねらっていたのだが……というような。
「いくらのこらず」は、おそらく「いくらものこらず」ということ。誤植かもしれない。

時期から言って関東大震災の直前。この頃の国政はどうだったのか……というのを辿りながら読むのも面白そうだが、緊縮財政と景気維持はいつの時代にも難しい舵取りが必要になる。
だから、今も昔もそんなに変わらない……というような感想も持つ。

もっとも、お前さんは誰なのかと言われれば「からす」であったり「からす」に生活を託している者であったりする。

なかなかに、渋みのある(「渋い」ではなく)話だ。

23日は塔フェスタ、今日は拡大編集会議。
塔フェスタでは、五冊の第五歌集を読む という企画で
吉川宏志さんの『西行の肺』の発表を担当しました。

2009年の歌集ですが、
作者の自選五首にも含まれている
 霧のなか崖の沈みてゆくごとく死者はわずかと大国は告ぐ
は、2008年チベット騒乱の歌。
(直後には「その国に罪を負うゆえ黙しゆけり拉薩のことばの焼かるる今を」
という歌もあります)
この7~8年で、短歌をめぐる状況も大きく変わったと感じます。

アフターの飲み会にも参加しました。
写真は、開封されなかった河野美砂子さん差し入れの日本酒。
貴重な直筆サイン入りです!

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先週末から今日まで、塔ウィークでした。
先週土曜が企画会議、日曜日が再校・割付作業。
再校作業では、食事・おやつを持ち寄ってくださる方もおられて
いつも美味しくいただいています。
写真手前は、木村輝子さんお手製の豚汁。

その豚汁に舌鼓を打ちながら、松村編集長が
「このじゃがいも、甘いですね」と一言。
とすかさず、木村さんから「それ、さつまいも」。
・・・心もお腹もなごみました!

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昨日、塔短歌会事務所開所5周年記念の「事務所フェスタ」が開催されました。

「朝から歌会、題詠「五」」「山下洋さん・永田淳さんに聞く」「京都御苑・御所吟行&歌会」「5冊の第5歌集を読む」の4つのプログラムに、50名を超える参加者があり、楽しく賑やかな一日でした。

埼玉、千葉、福岡、金沢などからの参加もあり、また夜の飲み会にはお酒、お菓子、果物などたくさんの差し入れをいただきました。ご参加下さった皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。

11月号は全国大会の特集号です。
鼎談「越境する表現」 池田理代子・吉川宏志・永田 紅も掲載されています。
201611目次

ふとスマフォに撮りためた写真を見ていたら
こんな1枚が見つかりました。どうやら昨年の夏の月と星、らしい。
「きれい」だと思ったんでしょうね。
でも、これをどういう気持ちで撮ろうと思っていたのか、
さっぱり思い出せない。そういうことってありますよね・・・

(時期的には、職場の決算月でしたので、
そういう気分もあったのでしょう。お疲れさまでした)

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現在発売中の「週刊文春」11月17日号の「家の履歴書」は、
永田和宏さんです。永田さんが最初に住んだ家から現在の家に
至るまでの話が、4ページにわたって載っています。

さらに、書評欄「私の読書日記」では、鈴木晴香さんの歌集
『夜にあやまってくれ』が取り上げられています。
筆者は穂村弘さん。

皆さん、どうぞお読みください。

 気仙沼に福よしという有名なお店がありまして、先日行ってきました。
もう、食べきれないくらい、お刺身、いろりで焼いた魚、等々いただいてきたのですが……。
そこにあったほやの照明です。

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 見とれてしまいました。きれいで、せつなかったです。

 小学生の夏などには、ほや剝きの手伝いなど、しましたね。

    風更(ふ)けて星遊ぶ濃きひかりあり海鞘食みてこそみちのくの酒 
                          馬場あき子『青椿抄』

    手榴弾作動の仕方も知らぬまま生きて初秋の海鞘(ほや)を食みおり
                            三井修『砂幸彦』

 

仲町六絵著『からくさ図書館来客簿 第六集 ~冥官・小野篁と雪解けの歌~』は、小野篁が京都の私立図書館「からくさ図書館」の館長を務める人気シリーズの6冊目。第24話から第29話までが収められている。

そのうち第24・25話の「椿小町」に、物語と絡めて河野裕子さんの歌が引用されている。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
脱皮とは一気におのれを裂く力背をたち裂きて蟬がおのれ生む

もう十年以上前のことになるが、仲町さんは「塔」の会員であった。
京都の歌会で一緒にやっていた時期もある。

「塔」2002年2月号を見ると、新樹集の最初に仲町さんの歌が載っている。

紅葉の山はあまたの草木の根に縛らるる土と思いぬ
肉体の長いところを繋げたいゾウならば鼻アサガオは蔓
バス停は立ち枯れそうに寒い場所三、二、一で猫背を直す
夜半使う針の尖りの黒ずみは疣潰さんと母の焼きしか
目を閉じてみても結局闇があるさて視覚なき貝のこころは
芝を踏み図鑑ひらいて天を指し末っ子だった星ばかり見た

発想が新鮮で、今読み返しても良い歌だなと思う。

『からくさ図書館来客簿 第六集 ~冥官・小野篁と雪解けの歌~』のあとがきには、こんなことが書いてある。

二十三歳の時、「NHK歌壇」で河野先生に歌を採用していただいて、何物にもかえがたい勇気を得ました。「私が注意深く綴ったこの言葉は、大勢に見せてもよいと先生が認めてくれたのだ」と。その数年後大阪に引っ越して歌が詠めなくなり、河野先生のおられた『塔』短歌会は退会してしまったわけですが――。

『塔』短歌会と河野先生が、書き手としての私の土壌を作ってくれたこと。河野先生が鬼籍に入られた数日後に電撃大賞の最終選考に残ったという連絡を受け、その後プロ作家になったこと。そして、歌をまた詠めるようになったことを、河野先生に伝える手段があったなら、と今も時おり夢想します。

「NHK歌壇」や短歌誌『塔』で何度も選評をいただいたのに結局散文の方へ進んだので、不義理をしているとは思うのですが。六年の月日が経ってようやく、悲しみと感謝を多少なりとも言葉にできました。あるいは、言葉を綴る仕事を続けていたからこそ、六年で済んだのかもしれません。

仲町さんが「塔」を辞めた時はとても残念だったのだけれど、こうして別の道で活躍しているのを見ると、本当に嬉しい。

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