瀕死の白鳥
昨日は今年の1月に新しくできたロームシアター京都に初めて入りました。
キエフ・バレエのガラ公演。
能楽や文楽はときどき観るけれど、バレエはほぼ初めて。
小学生の頃にあのマイヤ・プリセツカヤの踊りを観たことがあるのですが、残念ながら細部はほとんど覚えていないのです。
昨日は「白鳥の湖」第1幕2場、「眠りの森の美女」、「海賊」のパ・ド・トロワなど、超有名な(たぶん)場面ばかり。
山岸涼子の漫画『アラベスク』が大好きなので、ああこれがあの子がバレエ学校の試験で踊った「ライモンダ」か~とか、これがあの難しい32回の連続大回転か~とか、いろいろな場面を思い出しつつ観ました。
そして、圧倒的だった「瀕死の白鳥」。
エレーナ・フィリピエワというウクライナの有名プリマが踊りました。
羽根のように波打つ腕、さざ波を感じさせる繊細な脚の動き。
白鳥の死の一瞬に向かって、全身が、指の一本一本までが完全に白鳥と化していました。
舞台空間がぴーんとはりつめて。
これはすごい。
※プリセツカヤの「瀕死の白鳥」はYouTubeで見られます。
松江と言えば
のぼり鯉
ちょうど宵山の日のまだくらくない時間。
なんとなく鳥取をはなれて京都にいました。
もともと宵山めあてで京都にいたわけではないのですが、まあどんどんひとが増えてきます。そのときぼくは首や肩が凝りに凝ってしまって何にもやる気がおきなくなっていました。それで、タイ古式マッサージに行こう!という気になって、京都室町三条下ル界隈を歩いていましたら、「誉田屋源兵衛」という風格のある帯屋さんのところにどーんと何匹もののぼり鯉?が屋外高くから展示してありました。
これは一体何なに?と思いながらうつくしいので立ち止まって見ていると、ちかくで見ているひとが「これ毎年鯉を描き足すのだ」というようなことを言っていました。近くには「創業278年を慶ぶ278匹の鯉」とも書いてありました。
おっと、みとれてはいられません。それからタイ古式マッサージでいたきもちいい時間を過ごしましたとさ。
わが不滅の恋人・・・
金沢へ行ってきました。
近頃開通したという北陸新幹線で・・・ではありません。
大阪からですので。
おっと、これは一昔前。
京都の鉄道博物館にて撮影したものです。
「雷鳥」とは、なんとも鉄道らしくてよい名前でした。。。
注)私は鉄子ではありません。
いまは「サンダーバード」。
ついつい【雷鳥の直訳か!】とつっこみたくなります。
なにしろ「雷鳥」は「ptarmigan」なのですから。
「サンダーバード」はやはりあの、
昔テレビで観たイギリスのマリオネット劇ですよね。
ジェフ・トレーシーが好きでした。
☆
ところで今年の塔の全国大会には池田理代子さんがゲストとして来られます。
私は幼少のころから10代の終わりまで、
『ベルサイユのばら』から『オルフェウスの窓』に
どっぷり浸ったものですから嬉しくて仕方ありません。
クラウスが呟くこのセリフを思い出すだけで頭がくらくらします。
すみません。マニアックな話ばかりで。
みなさん、よい海の日を。
『塔』7月号の目次です
ベトナミーズと夕立
江戸です。
毎日、身近なことから、日本のこと、世界のこと、
さまざまなことが起こり、ふらふらめらめらと思いを巡らせます。
ブログを書こうとこうして休憩時間にパソコンに向かってみましたが、
書くにはあまりにも恥ずかしいことだったり、
政治の話はここではしたくないですしね。
ということで、まずは今日食べた昼ご飯から。
今日は堀江で用事を済ませた帰り、
いきつけの【ベトナミーズ】(四ツ橋本町辺り)に行きました。
【ベトナミーズ】は正式な店名ではなく、私が勝手にそう呼んでいるだけですけれどね。
店の名のとおり、ベトナム料理です。今日の「皿ご飯」は豚肉ミンチのピリ辛ご飯。
スープもサラダドレッシングもすべて辛ーい辛ーい。
でも・・・・美味しい。夏にはやはりスパイスですね。(冬も食べますが。)
今日は晴れのち雨の予報だったのですが、この時点ではかんかん照りです。
松島橋。古い橋ですが、大好きな橋です。
高速道路の向こうに見えるタワーマンションの裏手は、
高安国世の実家の初代高安医院があったところですよ。
木津川と土佐堀川が交差しています。
・・・と、呑気に写真を撮っておりましたら、雷が鳴り出しました。
黒い雲が空に一気に広がり慌てて自転車をこいだのですが手遅れ。
大雨に潔くびっしょり濡れました。
天気予報、あたったやん。
小学校で
選挙でした。投票所になっているのは近所の室町小学校です。めったに来ることもないので、探検をば。
最近、「『歩きスマホ』を誘発する」という保護者からのクレームに応えて、座ったスタイルの二宮金次郎像が全国各地で登場しているとか。ここはどうなんだろうと探してみると、ありました。昔ながらの二宮金次郎の石像です。
二宮金次郎像のそもそもの由来を考えれば、やっぱりこれがしっくりきます。座ると、働きながら寸暇を惜しんで勉強した、という勤勉の教訓が薄れるような気がします。もっとも、私の通っていた小学校では、校舎北側の、人けがなく木々がうっそうと茂る中に二宮金次郎像の草鞋の足だけが残っていて、心霊スポットになっていました。教訓もなにもありませんでしたが、ある意味、忘れがたい金次郎像です。
金次郎像の隣に四本の石柱が。文字が刻んであります。立て札に書かれた由来によると、いつの時代のものかは分からないものの「是(これ)より洛中荷馬口付(にうまくちつき)のもの乗るべからず」と彫られているそうです。「この地点からは京都の市中になるので荷馬からおりて馬の口取りをしなさい」という意味だそうです。この辺り(室町地区)は江戸時代以前の京都の町の北の端にあたり、郊外から多くの荷馬がやってきました。その馬が町中で暴れるとたいへん危険なので、この石標が町の入り口に立てられたそうです。ほ~と感心。京都では、こういった過去の町の痕跡に出合うことしばしばです。今の町からは想像もつかない、ひょんなところに現れるので面白いです。
マンガと私
全国大会が近づいてきました。2日目の公開プログラムには講演「マンガを詠んだ短歌」(真中朋久)、鼎談「越境する表現」(池田理代子、永田紅、吉川宏志)があり、とても楽しみにしています。
これに連動して8月号の特集も「マンガと短歌」です。「私の好きなマンガ」という題で投稿も募集していましたね(すでに締め切られています)。それぞれに好きなマンガへの思い入れが伝わってくる、読み応えのある内容になっているそうで、こちらも楽しみです。
お題はちょっとずれますが、マンガと私についての思い出話を一つ。子どものころ、私の家ではマンガを買ってはいけないことになっていました。「教育方針」のような立派なものではありません。なんであかんの、と聞いたところ母は「置き場所がない。ごみが増える」と言っていました。ごみだなんて、ひどい・・・。これは、当時私が「りぼん」のようなマンガ雑誌を欲しがったため、雑誌はすぐにごみになるというような意味で言っていたようです(それにしても、ひどい言い草ですけれど)。
借りて読むのはかまわないわけで、図書館で手塚治虫を読んだり、友だちに少女マンガを借りたりしてちょこちょこ読んでいました。母がどこからともなく『ドラゴンボール』を借りてきたこともありました。そのようにして、持っていないわりには、有名作や話題作を読んでいました。
しかし、「これはどうしても手元にほしい。今これがなかったらだめになる」と心底思うときがきます。中学3年のときでした。年も明けて、いよいよ受験という時期、買いました。貯めていたお年玉で。親に内緒で。地元から離れた町中の本屋で。山岸涼子の『日出処の天子』全7巻です。文庫サイズのマンガが出始めたころでした。一気に買いました。クラスメートに借りて最後まで読んだことがあったのですが、もう1回読みたい、あの場面をもう1度見たい、あれどういうこと!?といった欲や疑問が頭の中で爆発していて、これを鎮めるには手元に置くしかない、と決断したしだいです。自分の衣類をしまう引き出しの下の方に隠しておいて、受験勉強の合間にこそっと読んでいました。こそっと読むマンガの楽しいこと!格別でした。今は実家の古い本棚にしれっと並べてありますが、いまだに親は、私が中3でこっそり買ったものとは知らないようです。
ずっと後になってから、「大人買い」という言葉を知りました。人生で初めて買ったマンガ、中学生のくせに大人買いしたんやなあ、阿呆やなあと改めて思いました。こういうことにならないように、自分の子には適宜、マンガが欲しいなら買ってやりたいと思います。ただし、私も読みたいものに限る!! って、やっぱり阿呆の考えることは阿呆なようです。
(写真は本文とは関係ありませんが、今、気に入っている、よしながふみの『きのう何食べた?』という料理マンガです。これを見て夕食を作ることも。ちなみにこれは大人買いではありません。新刊が出るたびに欠かさず買う、コツコツ買いです)