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アーカイブ "2011年08月"

今年2月号の「高安国世の手紙」に「杉浦明平のこと」という文章を書いた。その後、たまたま息子が読んでいた岩波少年文庫を見ていて、杉浦明平が『ピノッキオの冒険』の翻訳をしていることを知った。イタリア・ルネサンス文学の研究者でもあったことは知っていたのだが、それ以外にも幅広い活動をしていたようだ。
さらに今日、本屋に立ち寄ったところ、別所興一・鳥羽耕史・若杉美智子共著『杉浦明平を読む』(風媒社)という本が出版されていた。杉浦の評伝&著作の解読といった内容で、随分と詳しくいろいろなことが書かれている。
1955年の未来短歌会宿泊歌会で撮られた近藤芳美・高安国世・杉浦明平のスリーショットの写真も掲載されている(残念なことにキャプションの近藤と高安が反対になっているが)。「アララギ」に載った歌なども収録されていて、興味が尽きない。

今朝の新聞でいろいろと河野さんのことが取り上げられていました。
朝日新聞 『蝉声』の書評(穂村弘さん)
読売新聞 HONライン倶楽部「河野裕子の巻」
毎日新聞 短歌月評(大辻隆弘さん)
      *「塔」8月号(河野裕子追悼号)について触れています。
以上、ご紹介まで。

あまり息子のことを書くとあとから苦情を言われそうですが、
河野さんのETV特集を見てから、息子にはいろいろな思いがあったみたいで、
たまに「お母さん、お父さんと相聞歌してる?」と聞いてきます。
相聞歌を送りあって仲良くしてる?という意味みたいです。
そんなこと聞かれても困るんですが・・。
最近は好きなバンドの名前が「毛皮のマリーズ」という名前で、そこから「寺山修司って誰?」と聞いてきます。ちなみに「毛皮のマリー」は男娼の話らしいです・・。
なんでもないいろいろなことが頭のなかで、いつのまにかつながっているんでしょうか?

ごそごそしていて、
丹心という言葉にぶつかる。
なんだかすっきりしてきれいな言葉だ。
まごころ、いつわりのない心という意味で、
赤心と同じらしい。
丹心、赤心。
あまり使わないけれど、
体の中にそっとしまっておきたい言葉だ。

京都の三月書房さんのブログ「三月記」に「塔」8月号(河野裕子追悼号)のことを取り上げていただきました。
河野裕子追悼号は三月書房でも、もうかなりの数が売れているとのことです。
ご購入のお申し込みはTOPページの「お問い合わせ」でも受け付けております(定価2000円)。
また、東京のジュンク堂池袋本店、名古屋のちくさ正文館本店でも販売しております。どうぞご利用ください。

今日は13:00からハートピア京都にて、9月号の再校&10月号の割付作業。
全国大会翌日で、しかも平日ということもあって、参加者はいつもより少なめの12名。17:00の終了時間ぎりぎりまで作業して、何とか無事に終了した。
作業後に、先日契約を終えたばかりの塔の事務所を見に行く。部屋の寸法などを細かく測って、これから机などの備品を揃える予定。9月には正式に事務所開きをしたい。


昨日・今日と二日間にわたって長野市で行われた全国大会が、無事に終了しました。
実行委員長の小澤婦貴子さん、向山文昭さんほか長野の皆さん、編集部大会担当の荻原伸さんほか大会スタッフ、ボランティアスタッフの皆さんのご尽力のお蔭で、充実した楽しい大会になりました。ありがとうございます。
初日の午前中には、高安さんのご家族の御好意により、飯綱高原にある高安山荘の内部を見学させていただくという貴重な体験もしました。高安さんが歌作りや執筆に使っていた部屋にも入って、当時の雰囲気を感じることができました。
来年の全国大会は、山下洋さんを実行委員長に大阪で開催されます。今年参加できなかった方々も、来年はぜひご参加ください。
(写真は、シンポジウムの休憩時間に映された高安山荘付近の景色と高安さんの歌)

5時39分発のJR奈良線の始発に乗って、長野へ行ってきます。
長野駅到着は10時01分の予定。
いよいよ全国大会が始まります。
今朝はベランダの朝顔より早起きしました。

明日から全国大会ですね。
さて、遅ればせながらウィングス京都にて行われている「もう一度、河野裕子に会いたくて」の企画展に行ってきた。
これまでの新聞記事の拡大コピーやスタッフの方が選ばれた30首などが展示されており、来場者が好きな歌にシールで印を付けられる。
普段アンソロジーなどではあまり選ばれないような歌もあったりして、そしてそんな歌にシールが多く付いていたりして面白い。ウィングス京都は男女共同参画センターを謳っているので、自ずと選ばれる歌も票を集める歌も子育て、家事の歌が多くなっている。
企画展は31日まで。お近くの方は一度足をお運びください。

塔の全国大会が長野県で開かれるのは、1985年以来、実に26年ぶりのこと。長野県と短歌や塔との関わりについては、6月号の特集「長野の歌」をお読みください。
私自身のことを言えば、中学生〜大学生の10年間、毎年夏には長野県に行っていた。クラブの合宿である。
中学・高校の6年間はラグビー部に入っていて、毎年3泊4日で菅平で合宿をしていた。大学の4年間はアーチェリー部で、これも毎年7泊8日で木島平で合宿があった。そういう意味で、夏の長野県には何となく親しみがある。
塔の全国大会も、一種の合宿と言っていいかもしれませんね。

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