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アーカイブ "2010年12月"

朝起きて珈琲を飲んだあと、
塚口にあるお墓へお参りに行った。
実家はもうすでに人手に渡っているけれど、
子どもの頃に走りまわった懐かしい場所にお墓はある。
富松城跡は「しろあと」と呼ばれて、
ちょっとした探検の場所だった。
その横を通り過ぎ、塚口駅前のスーパーへ勢いつけて入り、
お正月の食材をどっさり買っていると、
塔短歌会会員のSさんを見かけた。
内気なわたくしは、
ものすごい混雑のなか、Sさんを呼びとめる勇気もなく外に出た。
雨がぽつぽつと降っていた。
いそいで車に乗り込んだときには、しっかりとした冬の雨。
Sさんはまだスーパーの中にいたはず。
雨にあって大変だったでしょう?Sさん。
来年もよろしくお願いします♪

 きのうからようやく取り掛かった大掃除。普段からやっておけばいいのに、ついつい後回しにしてきたツケがたまっている。
 2Fの和室は「とりあえずの部屋」と我が家で呼ばれ、ダンボールや紙袋、箱、鞄、書類、本がなんの脈絡もなく置かれていたのをきょうの午後から整理にかかった。
 6畳の部屋に箪笥を置いているので、スペースは畳5枚分。先を考えると萎えるので、入り口に近い1枚から片付けていく。本と布と思い出。大きく3つに仕分けする。
  本はダンボールか本棚へ。雑誌は記念的なもの以外は新聞の袋へ。布は衣類、パッチワークの材料、ごみ袋行きに分ける。
 「思い出」という箱には手紙や写真やパンフレットやチケット、今年参加したイベントのレジュメや歌会詠草を入れる。紙類はだいたい「思い出」ボックスか燃えるごみに二分される。
 畳1枚終われば掃除機をかけ、つぎの1枚に進む。毎年ここに一番時間をとるので(手紙など読み返したりするから)、家族が監視のため(?)作業に加わる。ようやく終わった〜と思ったらどっぷりと日が暮れていた。
 

今年は重曹を使ってちょこちょこ掃除してみましたが、なかなか良かったです。
手もあまり荒れません。
本のある部屋は倉庫のように雑然としていてひどいありさまです。
よく歌人の書斎とか、写真に載っていますが、あんな部屋にはなかなかできないですね・・。
夫が家にいて話すことは、マイケルジャクソンの偉大さとか、ホラー映画の批評で、何も話さないよりはいいけれど、近頃はだんだん相槌だけ打つようになっています。
以前、近くのスターバックスで夫と真剣に話をしているところを、近所の人がとおりかかり、あとで「よくだんなさんと話すことがあるねえ?」と言われました。
あのときも、マイケルジャクソンとホラー映画の話だった気がします。


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(写真はクリックすると大きくなります)
NHK教育テレビで、短歌に関する特別番組が放送されます。
★恋うた劇場「恋のことなら短歌にきこう」
12月31日(金)あさ6:00〜6:25
(再放送)1月5日(水)14:30〜14:55
出演 栗木京子、三枝昴之、今野寿美、米川千嘉子、穂村弘ほか
「あこがれの歌人に、ご自身のうたと恋のエピソードを大胆にインタビュー。自作にこめた貴重な証言が満載。」とのことです。

「外大短歌」創刊号を読む。
三井修さんが東京外国語大学で「短歌創作論」の授業を担当したことをきっかけに「外大短歌会」ができて、今回の会誌の発行となったらしい。参加者9名。
 夏の更地に引かれゆくあなたとの平行線はかなしい均整
                        /山崎春蘭
 指で押しゆくとき電話番号は数の結べる星座と思ふ
                        /市川きつね
 ちやぼちやぼとオカリナを吹くやうな手で君が食む西瓜の種黒きこと
                        /本馬南朋
 ミツバチの使者とか言って小学生ツツジを口に咲かせて帰る
                        /幸瑞
 水道の水ばかり飲むこの朝にアドリア海はみたことがない
                        /千種創一
どの歌にも若さと瑞々しさがあって、新鮮な感じがする。他にも市川きつねさんの小説「天窓」が、せつなくて、かなり良かった。
皆さんの今後の活躍に期待したい。
 

朝から息子を連れて映画館へ。
京都駅八条口のイオンモール京都内にあるT・ジョイ京都で「仮面ライダーオーズ&仮面ライダーダブル」を観る。
はじめはボーっと見ていたのだが、だんだん面白くなってきて真剣に(?)見る。仮面ライダースカル(鳴海荘吉)役の吉川晃司がかっこいい。憧れるなあ。

昼食後、仮面ライダーオーズショーをやっていたので、それも見る。とにかく凄い人だかり。子供たちはひたすら元気で、仮面ライダーに「がんばれ〜」と声援を送っていた。

(文明は土屋文明です。念のため。)
日本でクリスマスを祝うようになったのは、いつ頃からのことなのだろう。少なくとも文明(1890年生まれ)が子どもの頃にはなかった習慣のようだ。
  クリスマスの樹(き)を喜べる子供等よわが幼(をさな)きには
  いたく変れり
『往還集』より。昭和4年の歌。
この頃にはクリスマスツリーなども見かけるようになって、文明の子供時代とはだいぶ様子が変ってきていたらしい。
けれど、戦後になっても文明にとってクリスマスはなじめない(?)ものだったようで
  クリスマス知らぬ老われ正月を待ちて日向に梅に水かふ
と詠んでいる。『青南集』より。昭和30年の歌。
クリスマスは無視して正月を待っている。これは「迎年の賦」という一連にある歌で、他に「もち食ふを喜びとせぬ幼等よすでにお正月のこころにあらず」という歌もある。この幼等は孫たちのことだろう。世代のギャップがあらわである。
結局、明治生まれの文明にとっては、クリスマスよりも、もち(=米)を食べるお正月の方が、はるかに大切なものであったということだろう。
  

歌会始詠進歌に会員の桑原亮子さんが入選しました。京都新聞では写真入りで桑原さんが大きく取り上げられています。おめでとうございます!
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20101224000021
昨年の後藤正樹さんに次いで、2年連続塔から♪
うちは朝日と京都の2紙をとっているのですが、朝日新聞をパラパラ見ていると読者投稿欄にこれまた会員の高橋武司さんがクニマス発見のことについて投稿されていました。
一日に新聞紙上で会員の方の名前を二つも見つけるなんて、なんとなくプレゼントをもらったような気分♪

午前中、息子を連れて髪を切りに行く。近所にある昔ながらの理髪店。昭和の香り(?)がして居心地がいい。
午後からは宇治にある妻の実家で、ひと足早いクリスマスパーティー。最年少の大人として、子どもたちと一緒になってトランプやUNOで遊ぶ。

子どもたちは手作りケーキにも挑戦。イチゴと生クリームでサンタさんを何人も作っていた。21:30帰宅。

「未来」12月号の後記に岡井さんがこんなことを書いている。近藤とし子さんの葬儀に行った時の話である。
偶然だろうが、晩年を近藤夫妻がすごされた成城の町のとなりのとなりあたりに、六十年前にご夫妻が住んでおられた清水建設の社宅のある町千歳船橋がある。わたしは小田急の窓から千歳船橋あたりの、かわりはてた風景を眺めながら、六十年前、自分が一人の学生として近藤さんのところへ通って、いろいろと指導をうけたのを思い出していた。
このあたりの地名は私にもなじみが深い。小田急線の駅で言えば、経堂に母の実家があり、千歳船橋には父の勤め先があった。成城には叔母たちが住んでいた。東京という町は山手線を中心に放射状に私鉄が伸びており、それによって生活圏が決まってくる。
私の一家はそういう意味では小田急線を中心に暮らしていた。新婚時代の両親がまず住んだのが狛江であり、私が生まれてから住み始めたのが玉川学園である。学生時代に住んだのは下北沢の近く。兄は先月くらいまで玉川学園に住んでいたし、父が今住んでいるのも柿生である。
そういうことを考えると、近藤夫妻が千歳船橋に近い成城を終の住処に選んだことも、ただの偶然ではないのかもしれないという気がするのである。

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