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アーカイブ "2010年02月"

昨日は東京池袋で開かれた「野口あや子歌集『くびすじの欠片』を語る会」に出席。午後1時から、場所は東京芸術劇場という大きな建物の中にある会議室。京都は良い天気だったので上着なしで行ったら、東京はひどく寒かった。

パネリスト(花山多佳子、三角みづ紀、高島裕、大辻隆弘・司会)による議論のあと、活発な会場発言があり、最後は作者の野口さんの挨拶で5時に終了。歌人と詩人の歌の選びの違いとか口語の文体をめぐる話など、面白い内容であった。
  スプーンにのった液体が何なのかわからないまま口をひらいた
  うるわしく人を憎んだ罰として痒みともなう湿疹が生(あ)る
  やや重いピアスして逢う(外される)ずっと遠くで澄んでいく水
  くびすじがすきといわれたその日からくびすじはそらしかたをおぼ
  える
  きみの旋律にあわせて肋骨をゆっくりひらく冬のあかとき
5時半から懇親会→二次会→三次会と、夜中の3時頃まで飲む。三次会のお店で初めて「火鍋」というものを食べた。卓上の鍋が二つに仕切られていて(片方は白湯スープ、片方は麻辣スープ)、そこに各種の肉を入れて食べるもの。美味しかった。

アクセスカウンター20000突破。
ホームページ公開から105日目。
明日は東京で開かれる「野口あや子歌集『くびすじの欠片』を語る会」に出席の予定。東京へ行くのも5か月ぶり。雨が止んでくれるといいのだけど。
  濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
               斎藤 史 『魚歌』

 昨晩、1時ごろ布団に入って寝ようとしたら、西側の窓のカーテンが少し開いていてそこから明るい光が差しているのに気がつきました。新しい街灯でもついたのかと思って窓をあけたら、正面に月が見えて驚きました。ほんとうに眩しいほど明るかったのです。
 眠ろうとしていた隣室の息子に言って、望遠鏡を運んできて布団のそばにセットして覗いたら、月のクレーターまでくっきりと見えました。淡いクリーム色に少しグレーを混ぜたような色で、表面のざらざらとした感じがほんとうに近くに見えて思わず「ををー。すごい!」と感激しました。2月24日の夜中の1時ごろ、自分の布団の上から見える位置に月があるということに気がついた素敵な瞬間でした。

編集長になって5年になるが、この間で大きく変ったことの一つは歌会が増えたことだろう。5年前は全国で19か所であった歌会が、現在では31か所となっている。この5年で新しく増えたのは、仙台、東京平日、湘南、長野、北陸、山城、北摂、天王寺、和歌山、岡山、四国、赤煉瓦(福岡)。今月末にはさらに奈良歌会もスタートする。
以前は歌会の分布を見ても関西中心という感じが強かった「塔」であるが、今ではほぼ全国各地で歌会が開かれているという状態になっている。北海道と沖縄を除けば、どこに住んでいる方でも、大体2時間以内で歌会に参加できるようになっているのではないだろうか。
僕も「塔」に入って最初の3年ほどは、福島と大分に住んでいた。当時は近くに歌会がなかったので、随分とさびしい思いをしたことをよく覚えている。今なら仙台歌会や赤煉瓦(福岡)歌会に参加することができるだろう。ようやく、それだけの環境が整ってきたという思いが強い。まだ歌会に参加したことのない方も、ぜひお近くの歌会に参加してみてください。
3月は6日(土)に赤煉瓦歌会、19日(金)に舞鶴歌会に参加することになっている。初めてお会いする方や久しぶりにお会いする方も多く、今から楽しみだ。

花屋にはもう早咲きの紫陽花が売られていて、驚きました。残り物のような「アネモネ 五鉢で500円」とあり、あまりの安さに欲しくなったのですが、かなりの重さだったので諦めました。
派手な花はあんまり好きではないのですが、アネモネは何故か心魅かれます。普通の花は真ん中の部分が黄色いものが多いけれど、アネモネは黒っぽいので、色が鮮やかでも引き締まって見えます。ちなみに球根なんですが育てやすいみたいです。
「詩人がもしかしたら明日にでも破壊されているかもしれない世界の真っ只中で自分の語彙を苦労して拾い集め、選び出して並べることは、アネモネやプリムラや、今いたるところの草原で成長している草花がしていることとまったく同じことです。」(ヘッセ 庭仕事の愉しみより)・・・1940年の文章です。

18日間の施設実習が終って、昨日からは訪問介護の実習。ヘルパーさんと一緒に利用者さん宅に行き、身体介護(排泄介助・清拭・移動など)や生活援助(掃除・洗濯・調理・買物など)を行う。自転車で移動しているのだが、今日も天気が良く暖かだったのでありがたい。
利用者さんのお宅は、一軒家あり、マンションあり、アパートあり、有料老人ホームの居室ありと、実にさまざま。利用者さんの要介護度もそれぞれ違うし、必要とされる援助も違う。それでもヘルパーさんは慣れたもので、決められた時間内に決められた仕事を段取り良く済ましていた。見事なものである。
こうしてヘルパーさんの援助を受けながら、住み慣れた自宅での生活を続けている方が多いことを改めて感じている。

午後1時から永田家で、3月号再校&4月号割付作業。今日はお天気も良く、参加者も約20名という充実ぶり。多くの方に来ていただいて、本当にありがたい。わが家も息子を連れて3人で参加した。短歌の話や雑談・おやつなどもまじえつつ、5時まで作業。3月号・4月号ともに196ページになる予定。皆さんお疲れさまでした。

12時少し前、地下鉄丸太町駅から徒歩5分、夷川室町にある野菜料理の店「Vege Note(ベジノート)」へ。おばんざいランチ1050円を食べる。
 ・人参フライ&蓮根フライ ・玄米ごはん ・ピーマンと白滝のナムル
 ・聖護院大根の炊いたん ・菜の花のからし和え ・豆のカレー煮
 ・水菜とひじきと蓮根のごま和え ・こだわり豆腐の温奴 
 ・特製ポテトサラダ ・味噌スープ ・フレッシュサラダ
という内容。マクロビオテックにもオーガニックにも特に関心はないのだが、野菜が本当に美味しく、調理法もさまざま、しかも品数が多くて満足&満腹。
その後、1時からハートピア京都で旧月歌会。今月は詠草49首という盛況ぶりで、部屋いっぱいに人がいる感じ。しかも良い歌が多かった。前半25首まで進んだところで、子どものお迎えのために退出。
 

高安国世の名前は短歌を始める前から知っていた。学生時代にはドイツ文学を専攻していたので、リルケやハイネの翻訳者として高安国世の名前はよく見かけていたのだ。だから「塔」に入会して高安国世が短歌を作っていたことを知った時は、意外なところで出会った気がして驚いた。
「塔」創刊年の復刻版を見ると、表紙の裏にリルケをはじめとしたドイツ文学の翻訳が載っている。例えば1954年4月の創刊号に載っているのはリルケ『時祷詩集』の「修道生活の書」の詩句である。同じ部分が今回の『リルケ詩集』にも収められているので、それぞれの翻訳を読み比べてみるのも面白い。翻訳によって詩の印象は随分と変わる。

2月の岩波文庫の新刊として、高安国世訳『リルケ詩集』が出版された。1月には手塚富雄訳『ドゥイノの悲歌』の改版が出たばかりで、リルケ続きである。この岩波文庫の『リルケ詩集』は、1977年に講談社文庫から刊行されたものを底本として、そこから9篇を削除し、新たに1972年刊行の本から42篇を追加した内容で、初期から晩年に至るまでの代表的なリルケ作品が収められている。
昨年12月号の「高安国世の手紙」の中で引いた『ドゥイノの悲歌』の「第一の悲歌」もちょうど載っている。こういう偶然は嬉しいものだ。以前にも、「塔」2007年4月号の評論「樺太の見た夢」の中で、北原白秋の紀行文『フレップ・トリップ』を引用したところ、その年の11月に岩波文庫から『フレップ・トリップ』が刊行されたことがあって、驚いたものだ。
これらは、もちろん単なる偶然に過ぎないのだが、時代を越えて良い作品が読み継がれていくという意味において、やはり嬉しいことである。「読み継がれる」ということを信じる気持ちは、短歌を作ったり文章を書いたりする上でも、とても大切なことのような気がする。

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