雨やどり
中村憲吉『輕雷集以後』というのは没後の第五歌集。昭和四年部分の「十一月八日在京冷雨いたく降る」の5首から冒頭2首。
世のうつり家建ちかはる東京に雨やどりせむ軒なくなりぬ
いささかの途中のあめは軒づたひ昔は行きぬ傘もたずとも
木造の家であれば、壁を濡らさないということが重要で軒は深くなる。
雨宿りするのは、住宅地というよりも商家の並ぶようなところだろうか。屋敷の塀にも軒があって、ちょっとした雨はそこでしのいだりすることができたのだろう。
土地の値段が高くなると、建蔽率いっぱいに建物を建てるようになる。東京の場合には、関東大震災以後の市街地の建物は鉄筋コンクリートのものが増えて、中心部ではそれこそ軒の無い建物ばかりになったのだ。
きょうはいっときざっと雨が降った。
ちょうど外出しているときで、雨宿りをしてしのぐかとも思ったが、急ぐことがあったので傘をさして歩いた。
雨宿りをしようとするなら、喫茶店にでも入るか、あとはオフィスビルのエントランス部分などに駆け込むこともできるが、憲吉の作品にあるように、それをつたっていったら傘をささずに済むという感じではない。
雨の中をずんずん歩いて、濡れた。身体が冷えたので夕方は一枚上着を着たが、それはそれで蒸れて不快。
台風がぞろぞろやってくるので、ちょっと雨が降ったぐらいでは空気は変わらない。
驟雨すぎし夕ベの空気異なりて葡萄の緑夕顔の緑/高安国世『街上』
こんな雨ならよいのだが。
コメントを残す