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永田さんと河野さんの言い争いを一度だけみかけたことがある。
何かの美しい包み紙を永田さんが捨てようとしたら、裕子さんがそれは要ると横から言った。永田さんはこんなのいらないよと、何か裕子さんに小言を言った。
その時私は裕子さんをかばいたくて仕方なかった。
塔の原稿を裕子さんがうちに持ってきてくださっていた頃、庭の花を少し切って小さなブーケのようにしてわたしてくださることがあった。
それは、一重のくちなしや、上品な紫陽花だったような気がする。
美しい包み紙でリボンもかけてくださってるときがあって、思いがけない贈り物に、心がとても和んだ。
花の匂いだけでなく、庭の匂いのようなものがその花束にあった。
そんなことをエッセイ『桜花の記憶』を読みながら思い出してとても切ない気持ちになった。

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  • りょうだ より:

    包み紙の話を読んで、実家の母や祖母を思い出しました。色とりどりの紐、綺麗な包装紙、そしてボタン。たくさんそれぞれ空き箱や缶、引き出しにストックされていました。
    今の自分の暮らしの中では、捨てることが当たり前になっていて、愕然とすることも。昔は、誰かのうちを尋ねるときに持っていきと庭の花を持たされたり、学校の教室にもよく持って行ったりしていたことも思い出しました。

  • maeda より:

    りょうださんとまったく同じ思い出が頭にありますよ・・裕子さんのこと、思い出したときにここのブログに書こうと思います。昔のことをどんどん忘れていきそう(-_-;)

  • りょうだ より:

    ぜひぜひ書いて下さい。
    裕子さんのことも昔のことも語ったり綴ったりすることで、大事にしていける気がします!楽しみにしてます。

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