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昨秋、所用のためJR大森駅に降りたところ、フォームに
「考古学発祥の地」なる碑が建てられていることに気がつきました。
たちまち、中学生の頃に読んだ「大森貝塚」の話を思い出しました。
『日本歴史・第一巻』(中央公論社)を繰ると、1877年、日本を
訪れたアメリカ人、E・モースが、横浜から新橋に向かう途中の
車窓から思いがけない発見をした、という記述があります。

「‥・即座にこれを本当の貝墟(貝塚)と認識できた。・・・私は
数か月間、誰かが私より先にそこに行きはしないかと、絶えず
怖れながらこの貝墟を訪れる機会を待っていた・・・」
          E・モース『日本、その日その日』

当時の日本には、考古学という概念がなかったので、彼の恐れは
全くの杞憂であったようです。この貝塚発見にちなんで、大森が
「日本考古学発祥の地」とされたのでした。碑の上部に据えられて
いるのは、貝塚から出土した土器のレプリカ(実物の二倍の大きさ)。

面白いのは、E・モースが考古学者ではなく、動物学者で、来日の
理由は巻貝類の研究にあった、ということ。貝殻のなかに、長い
来し方が読める人だったのですね。

大森は多摩川の河口にちかく、古代の人たちがどんな風景を見、
どんな暮しをしていたのか、興味が湧くところ。

  多摩川の暗き流れを畏怖したる古代人の貌車窓に映る
           徳重龍弥『暁の声、群青の風』

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