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先日、滋賀県は膳所の義仲寺まで行って来た。いつも歌会をやっているメンバーでの「吟行」。
緑の深い庭とその周辺の散策ののち、お寺の一室をお借りしての歌会である。

木曽義仲が討たれた場所に近く、義仲の墓を守る寺であり、芭蕉の墓もここにあるというのは知られたことであるけれど、あまり予習をせずに行ったので、後になってあちこち拾い読みをしたりしている。

もっとも、吟行に行くのに、予習をしすぎてもよくない。知識や先入観でものを見てしまう危険があるから。

義仲寺についての作品はいろいろある。

たとえば、昭和の再建に寄与した保田與重郎は、その墓(分骨)が翁堂の裏に建立されているが、事業をやりとげた感慨の一首が歌集『木丹木母集』にあった。

   義仲寺昭和再建 一首
おほけなく二つの塚を護りえたるけふのよき日に仕へまつりぬ

ほかに、木俣修には「少年の日この地に学びき」という詞書を伴う一連「膳所」があり、齋藤茂吉『白桃』には義仲寺をはじめてとして大津周辺に滞留した作品群がある。上田三四二『湧井』や池本一郎『萱鳴り』にも「義仲寺」と題した作品がみえた。

田中栄『海峡の光』から「義仲寺」と題する五首を引いておこう。

三度来て三度身に沁む芭蕉の墓割れし継ぎ跡白白見ゆる
逝く時を知らず佇む墓の前綿虫いくつ灯とぼしてとぶ
芭蕉の木古きも若きも残り花垂りて寂(しず)けし冬のくもりに
翁堂の奥に座したる芭蕉像闇にほのめく眼を見つむ
湖の霧比叡にさか巻きゆく見えて夕べしずけし鴎泛く湖

ほぼ自然石の芭蕉の墓。バナナの類の芭蕉は、あれは木というものではなく草に近いが、一般に木と呼ばれている。なるほど芭蕉にゆかりの寺なのだった。

ところで、門の上に亀がいた。

鬼瓦は珍しくないが、亀というのはこれはいかに?とお尋ねしたところ、水難よけの守護神のようなものだという。

門前は旧街道。いまではかなり埋め立てられてしまったが、昔はすぐそこまで琵琶湖だったのだ。

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