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土屋文明には「伊予を思ふ」「伊予の国」「愛媛の歌」といった小題を持つ歌がたくさんある。
  グレープフルーツ恐れて夏柑伐りしといふ愛媛の歌を長く忘れず          
  魚を売りつつ歌を作るといふ一本松のおかみさん健かなりや
                       『続々青南集』
これは昭和46年の「愛媛を思ひて」と題する一連の歌。この年はグレープフルーツの輸入が自由化された年である。一首目はその自由化の影響を受けて、夏柑(夏みかん)の木を伐ることになった農家の人のことを詠んでいる。二首目は魚の行商をしている人だろうか。「一本松」はおそらく愛媛の地名である。
これらの歌は、その内容からもわかるように、新聞歌壇の投稿歌について詠まれた歌である。文明は昭和27年10月、「愛媛新聞」に愛媛歌壇が新設された際に、その選者となったのだ。文明の伊予の歌のほとんどは、その「愛媛新聞」に発表されたものなのである。
  伊予の国の村の名町の名幾つかは覚えて二十五年の選歌
  ただ歌につながりて伊予の国を知り繰りかへし作る伊予の国の歌
                      『青南後集』
これは昭和52年の「愛媛歌壇の人々に」と題する一連の歌。25年という長きにわたって愛媛歌壇の選を続ける中で、愛媛の地名も覚え、愛着も湧いてきたのだろう。
この時点で、文明は既に86歳。そして昭和60年、94歳の時の「伊予五首」に至るまで、文明は数多くの愛媛県の歌を詠んだのである。

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