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今日の日本経済新聞朝刊の「文化」欄に、永田和宏さんが「一〇〇年後に遺す歌」という文章を書いています。  
どんなに優れた歌でも、それが語られる場が、雑誌や本の評論のなかだけであるのは、歌にとって少しも幸せではないのではないか。歌は日常の端々に、人々の口に登ってくる、あるいは意識の端にちょっとひっかかる、そんな思い出され方をするときにこそ、その本来の輝きを持つはずなのだ。  
『近代秀歌』の続編『現代秀歌』を出すべく、いま仕上げの段階に入っている。今回は、一〇〇人の歌人の、一〇〇首の歌を取り上げて、解説鑑賞をすることになった。  
皆さん、どうぞお読みください。

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  • 工藤吉生 より:

    読みましたけど、あんまり読んでて気分のよいものではありませんでした。知らない人を責めるような書き方で。なんであんなに押し付けがましいんだろう。
    酒の席での会話の描写は白々しいし好ましく思えない。酒入ると教養をひけらかすおっさんっていますよねー。最悪。まあ上下関係があれば我慢して付き合いますけど。
    永田さんの場合は、よいものを残して伝えていこうとする熱意がそうさせているんだとは思います。

  • 松村正直 より:

    工藤さん、コメントありがとうございます。
    永田さんの『近代秀歌』(岩波新書)は読まれましたか? まだでしたら、ぜひお読みになるといいですね。良い本でした。今回の永田さんの文章も、その延長として書かれたものですから。
    せっかくコメントをお書きいただいたのですが、当の永田さんがここを読むことは多分ないのが残念ですね。「塔」の方舟などに、投稿してみてはいかがでしょう。
    黒住さんの歌についてのご意見もブログで拝読しました。あれも、ぜひ方舟に書いてほしいですね。そういうオープンな(相手が読んでいる場での)議論が活発にできると良いなと思っています。

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