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選挙でした。投票所になっているのは近所の室町小学校です。めったに来ることもないので、探検をば。

最近、「『歩きスマホ』を誘発する」という保護者からのクレームに応えて、座ったスタイルの二宮金次郎像が全国各地で登場しているとか。ここはどうなんだろうと探してみると、ありました。昔ながらの二宮金次郎の石像です。

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二宮金次郎像のそもそもの由来を考えれば、やっぱりこれがしっくりきます。座ると、働きながら寸暇を惜しんで勉強した、という勤勉の教訓が薄れるような気がします。もっとも、私の通っていた小学校では、校舎北側の、人けがなく木々がうっそうと茂る中に二宮金次郎像の草鞋の足だけが残っていて、心霊スポットになっていました。教訓もなにもありませんでしたが、ある意味、忘れがたい金次郎像です。

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金次郎像の隣に四本の石柱が。文字が刻んであります。立て札に書かれた由来によると、いつの時代のものかは分からないものの「是(これ)より洛中荷馬口付(にうまくちつき)のもの乗るべからず」と彫られているそうです。「この地点からは京都の市中になるので荷馬からおりて馬の口取りをしなさい」という意味だそうです。この辺り(室町地区)は江戸時代以前の京都の町の北の端にあたり、郊外から多くの荷馬がやってきました。その馬が町中で暴れるとたいへん危険なので、この石標が町の入り口に立てられたそうです。ほ~と感心。京都では、こういった過去の町の痕跡に出合うことしばしばです。今の町からは想像もつかない、ひょんなところに現れるので面白いです。

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  • 永田淳 より:

    その辺りは「京の七口」の一つ、鞍馬口ですね。
    七口、名前が今も残ってるのは他に、大原口、荒神口、粟田口、丹波口でしょうか。
    Wikipediaで見ると、他にも伏見口、竹田口、東寺口、長坂口などあったみたいですね。知らなかった。
    しかしこう「口」ばかり並ぶと、すごい変な感じ。

  • 永田淳 より:

    「口」ばかりに気を取られてて、書き漏らしていました。

    「子はここに通ふのか小学校の体育館にて人の名を書く」(大口玲子『桜の木にのぼる人』)

    ってのを、思い出していたのでした。

    おお!奇しくも此処にも「口」が!!」

  • 澤村斉美 より:

    京都に来たばかりのころ、この「~口」という地名には面喰らいました。
    鞍馬の地ははるか山の彼方なのに「鞍馬口」??
    丹波は見えませんけど「丹波口」?? という具合に。
    一方で、「荒神口」は近くに清荒神(きよしこうじん)があるので納得。
    京都と鞍馬、京都と丹波を結ぶ出入り口というほどの意味でついた名前なんでしょうかねえ。ほかの地域にもあるのでしょうか?? 数々の街道が集まる土地ならではの地名なのかもしれません。

    大口さんの歌、思いがこもってますね。
    子どもはここに通うのか、と思うと不思議な気持ちになります。
    いや、それ以前に、わが子は、親の出身地の方言である鹿児島弁でもなく岐阜弁でもなく、ましてや標準語でもなく、京都弁で話すようになるのか……というのが目下の最大の不思議です。

  • 河野み より:

    室町幕府って、その辺にあったんですよね?
    正確にどこだか知りませんが。。。

  • 澤村斉美 より:

    はい、室町幕府はこの辺りにあったようです。
    今出川通と室町通の交わるところ、床屋さんの角に「足利将軍室町第址」という石碑が、まったく目立たない様子で立っています。この石碑から東北の一帯が将軍家の御所で幕府だったらしいのですが、そのような面影ありませんよね。

    面白いのが「応仁の乱勃発の地」の石碑です! 幕府跡に近い上御霊神社の境内で、木の陰にひっそりと立っているのを見つけました。
    京都で言う「先の大戦」がここから……。今は平穏な室町一帯も、けっこう血なまぐさい土地であるようです。

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