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古い「塔」を読んでいると、「方舟」に編集部のメンバーが埋め草的な文章をよく書いている。これが、なかなか面白い。いくつか紹介したいと思う。
まずは、1990年5月号から。黒住嘉輝「夾竹桃」。 
 「おい、清原、坂田もはじめのころは下手くそな歌作ってたよなあ。『夾竹桃花梢まで咲きのぼり我に幾たびかの夏』とかいう歌覚えてるか」。
 坂田が亡くなってから半年か一年半か経った頃のことだったろう。二人で坂田の思い出をしゃべっていた。
 急に変な顔をしはじめた清原日出夫が言ったものである。「ひどいよ黒住さん、それおれの歌だよ」。私もシマッタと思ったことは言うまでもない。「えっ、すまん」二の句がつげなかった。夾竹桃を見ると思い出す。遠い昔の出来事である。
  
「坂田」は1961年に自死した歌人、坂田博義。坂田も清原も立命館大学で黒住さんの後輩であった。

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