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 博多へ行ってきました。 赤煉瓦歌会の会場となっている、福岡市赤煉瓦文化館。 あまりにもすてきで驚きました。

 赤煉瓦文化館3
 こんなすてきな場所で毎月歌会をされているって、羨ましい。

 台風も過ぎ去ったあとで、散策するのにもちょうどいい気温でした。

 川があって、橋がいくつもかかっていて。その先には海が見えました。ロマンティックな街です。

 橋の見えるお店で、小さく見えるバスや車やバイク、自転車、歩いている人を眺めていました。 右から左へいく車。その向こうの橋では左から右へいく自転車。いちばん手前の橋には右から左へ歩く人。 それぞれがむかう方向やスピードが違っていて、子供が喜ぶおもちゃ(いろんなところから玉を転がしてその行方を追うようなおもちゃ)を見ているようでした。

 博多は初めてだと、思い込んでいたのですが、帰りの新幹線のなかで思い出しました。

 笹井宏之さんの第一歌集『ひとさらい』を語る会が博多で行われて参加したこと。 博多の街の記憶がないのは、たぶん、会場と懇親会場と駅、という点の移動だったせいか、あの会が私のなかで夢の中のことのようで、いまもふわふわしているせいかもしれません。会があったのは2008年の5月24日。笹井さんは2009年1月24日に亡くなりました。

 一生に一度ひらくという窓のむこうあなたは靴をそろえる  笹井宏之『ひとさらい』

 
 

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  • 黒田長宏 より:

    ブログから思い出した事柄が2点ある。1つは当時笹井さんが亡くなられて数か月後位だったと思うのだが、人も短歌も亡くなられたのも同時に知ったのだが、その頃は今よりも私はネットなどで短歌を追っていた事になる。ただ、2009年だったのか、私が短歌周辺を調べなくなったのはもっと前だと思っていたので7年前とは意外だった。口語短歌がポエムのようで褒める意味での違うなあとネットで何首かみて思ったのと売り出し中に死去するという衝撃があったのを思い出した。他に売り出し中で死去して衝撃を受けた人には芸能人の高橋良明さんと、後追いで社会的事件になってしまった岡田有希子さんが思い出された。文芸では読んではいないし詳しく知らないが、山内令南さんという人が文学界新人賞を受けた後で亡くなって、もったいない話だと思った事があるが、笹井さんについても、短歌周辺の方々には相当衝撃だったのではないかと思った。

    もう1つは個人的な事だが、最初の勤務先を辞める事になり、名古屋だったので、その頃はまだ学生時代を引きずっていて、憧れて振られた人が福岡県に帰っていたので、今から思えばストーカーで危ない行為なのだが、せっかく名古屋からなので、もう行くこともないかと思って辞めてすぐ茨城に帰らず、福岡へ向かった。しかし、会う勇気も途中で無くし、博多ラーメンを博多駅だったか、食べただけで戻った。そして東京でまた茨城にこのまま帰りたくないと思って、東京で止まってしまおうかと思ったかなんだかしたが、1泊だけしたが、茨城に結局帰ってしまった。そのまま26年経過したが、それからあちらの方面へは神奈川県までしか行っていない。だけど勇気がありすぎて会ってしまっていたらストーカーみたいだし、東京で止まっていたらどうなっていたかわからない。現在も平凡以下ではあるが、勇気が無くて良かったのだろう。

  • 藤田千鶴 より:

    黒田さん、メッセージの書き込みをありがとうございます。
    月日はなんだか気がついたら流れていて、ふと一気に遡ることがありますね。
    もう会えなくなってしまった人。みんなどうしているかなぁとときどき思います。

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