ブログ

全国大会が近づいてきました。2日目の公開プログラムには講演「マンガを詠んだ短歌」(真中朋久)、鼎談「越境する表現」(池田理代子、永田紅、吉川宏志)があり、とても楽しみにしています。

これに連動して8月号の特集も「マンガと短歌」です。「私の好きなマンガ」という題で投稿も募集していましたね(すでに締め切られています)。それぞれに好きなマンガへの思い入れが伝わってくる、読み応えのある内容になっているそうで、こちらも楽しみです。

お題はちょっとずれますが、マンガと私についての思い出話を一つ。子どものころ、私の家ではマンガを買ってはいけないことになっていました。「教育方針」のような立派なものではありません。なんであかんの、と聞いたところ母は「置き場所がない。ごみが増える」と言っていました。ごみだなんて、ひどい・・・。これは、当時私が「りぼん」のようなマンガ雑誌を欲しがったため、雑誌はすぐにごみになるというような意味で言っていたようです(それにしても、ひどい言い草ですけれど)。

借りて読むのはかまわないわけで、図書館で手塚治虫を読んだり、友だちに少女マンガを借りたりしてちょこちょこ読んでいました。母がどこからともなく『ドラゴンボール』を借りてきたこともありました。そのようにして、持っていないわりには、有名作や話題作を読んでいました。

しかし、「これはどうしても手元にほしい。今これがなかったらだめになる」と心底思うときがきます。中学3年のときでした。年も明けて、いよいよ受験という時期、買いました。貯めていたお年玉で。親に内緒で。地元から離れた町中の本屋で。山岸涼子の『日出処の天子』全7巻です。文庫サイズのマンガが出始めたころでした。一気に買いました。クラスメートに借りて最後まで読んだことがあったのですが、もう1回読みたい、あの場面をもう1度見たい、あれどういうこと!?といった欲や疑問が頭の中で爆発していて、これを鎮めるには手元に置くしかない、と決断したしだいです。自分の衣類をしまう引き出しの下の方に隠しておいて、受験勉強の合間にこそっと読んでいました。こそっと読むマンガの楽しいこと!格別でした。今は実家の古い本棚にしれっと並べてありますが、いまだに親は、私が中3でこっそり買ったものとは知らないようです。

ずっと後になってから、「大人買い」という言葉を知りました。人生で初めて買ったマンガ、中学生のくせに大人買いしたんやなあ、阿呆やなあと改めて思いました。こういうことにならないように、自分の子には適宜、マンガが欲しいなら買ってやりたいと思います。ただし、私も読みたいものに限る!! って、やっぱり阿呆の考えることは阿呆なようです。

ブログ写真
(写真は本文とは関係ありませんが、今、気に入っている、よしながふみの『きのう何食べた?』という料理マンガです。これを見て夕食を作ることも。ちなみにこれは大人買いではありません。新刊が出るたびに欠かさず買う、コツコツ買いです)

コメントを残す

ページトップへ