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少し意外な感じもするが、明治・大正、昭和戦前の歌集の中に「ソメイヨシノ」や「染井吉野」は少ない。少ないというより、見つけることができなかった。

植栽されるものとしては明治期からソメイヨシノがポピュラーであったから、「桜」の歌のうち、ある程度のものはソメイヨシノのことであるだろうけれど、それと意識して歌われていない。

土屋文明『自流泉』(1953年)には、こんな作品がある。昭和22年(1947年)ごろの作品。

染井桜みにくき幹の老いざれてなほこの年の花をかざすか
憎しまむ染井桜の老いし中吾は寄る匂ふ山桜の紅(あけ)のもと

ここで「染井桜」というのは、ソメイヨシノと考えてよいだろう。

かわいそうに。相当に嫌われている。
贔屓の山桜に対して、「憎しまむ」とまで言われている。

かく言う私も、ソメイヨシノは好きになれない。うわっと咲いて散ってゆく慌ただしさのせいなのか、年度替わりの慌ただしさを追い立てるように開花したとかもう散ったとかいう話になるからか。

ポピュラーになったのは明治期だが、ほんとうにどこに行ってもソメイヨシノだらけになったのは戦後のことであるらしい。
そうであれば、好きも嫌いも戦後のこと。ソメイヨシノというのは戦後的な風景なのだろう。

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