亀になりたい、石鹼になりたい
「塔」2月号の「八角堂便り」で、真中朋久さんが「亀はどこから来たのか」という文章を書いている。亀好きの歌人と言えば、永田和宏。真中さんは、永田さんの歌集に出てくる亀の歌を調査してゆく。まず最初に亀が登場するのは第5歌集『華氏』の次の一首だそうだ。
・ミドリガメや石鹸になりたいという子の話聞きつつ飲めりわが子はモグラ
わが子はモグラに、友の子はミドリガメや石鹼になりたがっていると言う。子どもはときどき、大人には思いもよらない不思議なことを口にする。モグラや亀は生き物なのでまだ共感の余地があるけれど、石鹼とは! ちょっと怖いような気もして印象的だ。さらに探偵真中氏によると、第11歌集『日和』にもこれと同じ場面を回想した歌がある。
・ミドリガメになりたいと言いしは誰の子か確かモグラや石鹸もあった
さて、先日小池光さんの『日々の思い出』のなかにこんな歌を見つけた。
・大きくなつたら石鹼になるといふ志野のこころはわれは分らず
前後の歌や詞書から「志野」は小池さんの次女の名前とわかる。なんと、これはあの石鹼になりたがっていた子どもではないか! 『日々の思い出』は1988年、『華氏』は1996年の刊行。石鹼になりたいと夢見る子どもがそう何人もいるとは考えにくい。永田さんと小池さんの当時のエッセイや年譜に互いの名前が頻繁に出てくることからも、この「志野」こそが永田さんの歌に出てくる「石鹼になりたいという子」である可能性は高いだろう。たぶん、歌人同士の飲み会などでそれぞれの子どもの話になったのだろう。
だからどうと言うほどのことではないけれど、歌集をあれこれ読む際のこういうちょっとした気づきはやっぱり楽しい。ミドリガメになりたかった子も、もしかしたら誰かの歌集に出てくるのかな。
写真は私の実家で飼っているリクガメ。ドーム型の甲羅が重くてときどきひっくり返ってしまう。そうすると身動きがとれない。自力ではもとに戻れないので、家族の誰かが気づいて起こしてくれるまで逆さまのままじっと転がっている。
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