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前回「もう12月です!」と書きましたが、みなさんは「12月」と聞いて何を思い浮かべますか?
クリスマス、年賀状の用意、年越しそば…。
いろいろあるかと思いますが、私が思う一つは「第九」です。

私は大学時代、大学のオーケストラに入っていたのですが、そのオーケストラの年内最後の練習のときには、恒例行事がありました。
「お遊び」です。
ここで言う「お遊び」とは、初見大会のことです。
事前に募って決めていた数曲を、その場で譜面を配り、みな初見で(つまりその場で初めて譜面を見て)演奏して楽しむ、というものです。
これはオーケストラをやっている者にとって、最高に楽しい遊びの一つでした。

この「お遊び」は年に2-3回やっていたのですが、年内最後の「お遊び」のときは、「必ずこの曲で締めくくる」という曲がありました。
そう、ベートーヴェン作曲交響曲第9番「合唱付」、いわゆる「第九」です。

ご存じのとおり、この曲では第4楽章にソプラノ・アルト・テノール・バリトンの合計4人のソロに、混声4部の合唱が入ります。
これらの「歌う部隊」も、ソロも含めて全員団員がまかないます。

私はこのソプラノソロのパートを、社会人になってからも含めて合計6回ほど務めさせてもらいました。
きっかけは、1回生のときに歌う先輩を見て「ああ格好いいな!」と思っていたところ、その先輩が就職して続けられなくなったので、「じゃあおまえやれ」とお鉢が回ってきたことです。
思い切り歌うのは気持ちよさそうだし、何よりど素人が「第九」のソプラノソロを歌えるなんていう機会は、まずないじゃないですか。
それに、私は高音を出すことに関しては、少しばかり自信があったのです。

歌うことになったのはよかったのですが、歌詞は全てドイツ語!
ドイツ語を習ったことなどない私には、歌詞の意味はもちろん、発音も分からない…。
でも、先輩の「まあローマ字読みしておけば、ほぼ間違いない」との指導(?)により、何となくそれらしく歌うことはクリア。
あとは音程をとることで、BOXのぼろいピアノで何度も旋律を弾いては歌い、どうにかたたき込みました。

で、やっぱり気持ちいいんですよね!
発音もめちゃくちゃなら、音程もちゃんと取れていたか怪しいものですが、すごく充実感を感じました。
そして、そこから6年ほど連続して歌うことになったのです。

1994年の年末は、翌年、つまり1995年1月に定期演奏会を控えていました(私は出なかったのですが)。
その定期演奏会では、客演指揮者に、あの佐渡裕氏を迎えることになっていました。
佐渡さんというのは大変気さくな方で、この年末の「お遊び」に、特段その日に佐渡さんを迎えての練習があったわけでもないのに、わざわざ来てくださったのです!
その年の「第九」は、もちろん指揮は佐渡さん。
そればかりか、なんとバリトンソロも佐渡さんがこなすという、二刀流!
佐渡さんのバリトンソロを間近で拝聴するなんて、無茶苦茶贅沢でしたね。

この時も私はソプラノソロを担当したのですが、佐渡さんの指揮で歌うと、もう抜群に歌いやすいのです。
これまでの学生指揮者の方には申し訳ないですが、もう全然違いました。
指揮に合わせて歌う、というよりも勝手に私の中の声が引き出されてしまう、という感じ。
私にとっては、本当に貴重な経験になりました。

この時の様子が、なんと写真に残っているんですね~。
左端で、合唱団の方に振り向いて指揮をしているのが佐渡さんです。
94.12.28 第九の写真3

で、この話には続きがあります。
1995年1月の定期演奏会は、京都公演が17日でした。
そう、あの未曾有の災害として記憶される、阪神・淡路大震災の、まさに当日でした。
とんでもない地震が起きたという認識は十分すぎるほどあり、しかしながらあまりにも大きな地震だったため、この時点では被害状況も全容が全く分からない中、この演奏会は行われました。

演奏会の冒頭、指揮台に立った佐渡さんは、おもむろに客席の方に向き直りました。
そして「この演奏を今日の震災で亡くなられた方々に捧げます」と静かな声で告げた後、再びオーケストラに向かって演奏を始めました。
曲は、マーラー作曲の交響曲第9番でした。

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