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「窮鼠」というのが出て来たら、まずほとんどすべて比喩である。もともと立場の弱い者が、立場の強い者に対して一矢報いるというような。とはいえ、捨て身の戦いであるから窮鼠が猫を噛んで、その一場面を切り抜けて生きのびることができるとは限らない。
よくあるのは職を辞して、しかしその原因をつくった上役の悪行を、どこかで露呈するように工作してゆくような場合。理をつくし真正面からやりこめたなら立派なことだが、なかなかそういうことにはならない。会社の中だけでなくて、元請・下請けの関係などでも、いろいろとある。

勤めいし三十年の間には窮鼠が猫を幾度か咬みき/三井修『薔薇図譜』

三井さんは、咬むほうだったのか。咬まれるほうだったのか。あるいは横で見ていたり、事態の収拾にあたる立場だったか。

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ところで、先日、早朝のランニングをしていて出会った場面を3枚貼る。これも動画から切りだしたので画質は粗い。

cat_mouse_1
cat_mouse_2
cat_mouse_3

まだ若い猫だろうか。私が見ていることを気にして集中力散漫というのもあるが、ドブネズミの「ねこだまし」に、ていよくやられて、とりのがす一部始終である。

こうやって見ると「窮鼠」という印象ではない。かなり対等に戦っている。

ネズミもいろいろだが、ドブネズミあたりになると、かなり手ごわい。1匹なら、こんなかんじだが、何匹かいると、ネコのほうが負けてしまいそうだ。

どぶ鼠に猫くはれしといふ話けふ何よりも感動したり/二宮冬鳥『靜黄』

あなおそろし。

感動している場合でもないのかもしれない。

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